彼女がもう何度目かの自殺未遂をはかったこと。
 病院に運ばれて手当を受け、そのまま入院していること。
 命に別状はないが薬物中毒とアルコール依存がひどく進行していること。
 医師からは専門の施設への転院と長期的な治療を勧められていること。
 たったこれだけの事実を羅列した俺の報告は、覆い被さるボスの老練な腰使いのせいで何度も中断された。
 彼はプライベートの時間に俺を立ち入らせない。
 だから彼とそういうことになるのは決まって就業時間中の、それも彼のオフィスである事が多い。
 うつ伏せた上半身をデスクに預けて後ろから滅茶苦茶に突き込むだけの行為は、それを行っている彼にとっては他人の身体を使った自慰にすぎないのだろうが、俺はそこにまぎれも無い快楽を見いだす。
 半開きにしたままの口から涎を垂らしてみっともなく喘ぐ顔を、うつ伏せないように、彼にきちんと見えるようにねじ曲げて。
 きもちいいです。
 もっとください。
 おねがい、そこを、つよく、ひどく、して。
 聞かれもしないことをべらべら喋る俺は、本当に彼女の言う通りの恥知らずで淫売の変態なのだ。
 ボスの息があがり、いっそう深くねじ込まれた瞬間に耐えきれず、ぐん、と伸ばした腰の奥、彼が精を放ったのを感じる。
 手近に在る性欲処理の道具。
 どこまでも自分に付き従い、しかし決して面倒な感情を抱く事の無い忠実な飼い犬。
 多少手荒に扱っても壊れることがなく、子を孕むこともない。
 彼は俺の事をそう信じている。
 乱れた衣服を整える俺には目もくれず、ボスは遠くに目線を走らせたままくゆらせていたシガーを灰皿に置いた。
 人殺しのあの女には当然の報いだ。
 紫煙と共に、誰に向けるでもない呻きを漏らす。
 あの女は勝手にわしの子を殺した。
 そのうえ愚かなことばかり繰り返しおって...どこまでわしを苦しめれば気が済むと言うのだ。
 ボスの眉間には悲痛な皺が刻まれ、彫りの深い眼窩の奥ではつきく瞼が閉じられて、そんな彼はひどく年老いて見えたのだった。
 なにか声をかけようとしたが俺には適切な言葉がみつからなかった。
 何を言ってもきっと彼には届かない。これほど長く、近くにいるのに。
 黙りこくって突っ立ったままの俺にボスは手で追い払うような仕草で下がるように命じ、俺は一礼して彼のオフィスを後にする。

 

 彼は知らない。
 ボスと彼女の子供を殺したのは俺だ。

 

 

 

 

 

 俺が彼女の妊娠を告げたときボスは子供のように喜んだ。
 それは今まで俺が見た事のない全くの打算の無い笑顔で、俺はいままで随分長くこの人の側にいたがこの人がそんな顔をするなんて想像したこともなかった。
 その時に知った。
 ボスは確かに彼女を愛していた。
 始まりはとても不幸で、彼はとても不器用で、彼女はとても幼かった。
 けれど、確かに彼らは愛し合っていたのだった。
 俺を残したまま目の前で扉が閉じて行く。
 その向こうにある世界に俺は立ち入ることができない。
 嫌だ。
 俺を置いて行かないでくれ。
 俺をひとりにしないでくれ。
 声にならない、してはいけない叫びと共に俺の心に立ちこめる濃い霧のような感情。
 嫉妬。
 とうの昔に捨て去り忘れ果てていたはずのそれを、彼女は掘り起こした。
 彼女は俺に嫉妬したが、それよりずっと前から俺は彼女に嫉妬していたのだ。
 それが無ければ俺は何も思い煩う事無くあの人に添うていることができたのに。
 あの人の望む通りのただの狂犬でいられたのに。
 今は、あの人の側にいる事がなにより、苦しい。