彼女の中に新しい命が息づいていることが分かってから、初芽の様子は少し不安定だ。
 以前はあれが食べたいだの、こんな着物が欲しいだの、我が儘を言っては喜んでいたのが、つわりのひどいせいもあるのだろうが一日中部屋の隅に何をするでもなくぼんやりと座り込んでいることもある。
 

--初芽、どうした。何か欲しいものはあるか?
 

 何を聞いても首を横に振るだけ。
 武家に育った気丈な娘とはいえあれでもまだ15の少女だ。
 無理もない。きっと初めての身体の変化に戸惑っているのだろう。
 俺は子の名前を佐吉と決めた。
 初女は産まれてみないと分からないというが、俺の勘では確かに男子だ。
 殿、お喜びください。
 石田の家を再興する事は叶わずとも、殿の血を引くお子、きっと立派にお育て申し上げます。

  

  

  

  

 やがて時が満ち、臨月が近づくにつれて初芽の身体も随分とそれらしくなって来た。心なしか顔つきも、どこか和らいできたように感じる。
 初芽の膝を枕として彼女の膨れ始めた腹に顔を寄せているとこの上も無く幸福な気持ちになれる。
 子の誕生など幾度も立ち会って来たはずが、今はそのどれとも違う、満たされた思い。
 初芽は何も言わずに俺の頬の傷跡を撫でる。透明のように白い、ギヤマン細工の指が引き攣れた皮膚を辿る。俺は戯れにそれを口に含んで飴のように舐める。
 初芽は少し困った顔を作ってこう言うのだ。

 
--あらあら、旦那様の方が赤子のよう。

 
 ここに、鬼の左近はもういない。
 途絶える事など思いもよらないこの幸福は俺の目を曇らせていた。
 だからこの時、外を取り巻く暗い気配に俺は気付かなかったのだ。