控えめな金属音と共に、エレベーターのドアが開く。
スィート専用階から降りて来た二人をウェイターが深々と頭を下げて出迎える。
彼が男の腕に寄りかかる“淑女”を怪訝に思わぬはずはないのだが、二人が客である限りその不審を表情に現す事は無い。
「島様でございますね。ご案内いたします。」
会員制のフレンチダイニング。
そこには何度も来たことがあった。
養父に連れられて、あるいは接待で。
けれどそれ以上の思い出の在る場所。
ここは、左近と、初めて---。
左近は覚えているのだろうか。
覚えていて、この場所を選んだのだろうか。
だとしたら、何て酷い。
叫びだしそうになる衝動に唇を噛み締めて見上げた男は紳士的な笑みを口元に浮かべたままであった。
二つの弦楽器が互いを追って、追いついては離れるうちに、逃げていたのはどちらだったのか分からなくなる。
熱に浮かされた耳の奥に微かに聞こえるその協奏曲の名を一小節を聞けば音に先んじて指が動くほど、三成は良く知っていたはずなのに今はちっとも思い出せない。
一時期は常連であったこのダイニングのウェイターの中には顔見知りといえる者もいる。
そんな彼等に気付かれぬように、三成はできるだけ顔を伏せて歩いた。
ウェイティングバーを通り抜けて大きな花の飾られたフロアを横切り、特別な客だけが入ることの出来る奥の予約席まで。
着飾ったカップル。品の良い紳士や老婦人。裕福な家族連れ。
テーブルの脇を通る度に彼等のナイフやグラスを持つ手が止まり、好奇の視線と嗤いを含んだざわめきが自分に向けて投げかけられているような錯覚に陥る。
自分たちを案内しているこのウェイターだって、きっと穏やかな微笑みの下では自分の滑稽な姿を嘲っている。
そう思い始めればキリが無く、席に着くまでの一歩一歩が三成にとって針の上を歩くようだった。
「みんな貴女を見ていましたね。」
ウェイターがアペリティフのシャンパンを取りに席を外している間、嘲笑を含んだ声で左近は向かい合う三成にそんなことを言う。
「そんな..こと..っ。」
「貴女がとても奇麗で見とれていたんですよ。
気付きました?窓際の席の白髪のジジイ、馬鹿みたいにフォークをもったままで口ひげをソースだらけにして。
真ん中の席の、カップルの若い男も。目の前の彼女ほったらかしで貴女のことをずっと目で追いかけてた。
あの様子では今夜は彼女と修羅場でしょうよ。」
長いクロスで覆われたテーブルの下、革靴の硬い感触が這い登る感触に俯いたままでいた三成の肩がびくり、と跳ね上がる。
「貴女がどんなに淫乱な“女”か、みんな気付いてるんだ。」
かたく閉ざしたつもりでいた足の間に割り入って、靴先はその奥の熱に触れる。
「っひ..!」
今だ続く緩く、絶え間ない玩具による責めのせいで三成のそこは猛っていたけれど、射精に至るには物足りず、またこのような状況でそれが許されるはずも無く、わだかまる快楽を飼い殺していた。
「濡れてる。もうぐしょぐしょだ。」
「嘘...だ。」
靴を履いたままの足裏で分かるはずはないのに、言われればそんなふうにも感じてしまう。
本当だったらどうしよう。
女物のドレスの下でペニスを勃起させて、人前で食事をしなければならないなんてこれ以上惨めなことがあるだろうか。
「本当ですってば。見なくても分かります。」
確かめるようにまさぐるだけだった足が意図を持って動き始める。
「いたっ..ぃ..やっ..ぁあ。」
ぱんぱんに腫れ上がった袋と、固く立上がった竿に堅いつま先を突き立てられてそのままぐりぐりと力を加えられる。
荒々しく粗雑な動作。
平時でさえ敏感な部分への容赦のない加虐。
今までの左近なら三成の身体を傷つけたり痛みを与えるようなことは決してしなかった。
それが今、こんなところで。
「本当に“女”にして差し上げましょうか。」
「ひぁっ...あっ..ぁ。やぁっ...。」
腹の奥に響く鈍痛と、このまま壊されるのではないかという本能的な恐れに、むき出しの背を冷たい汗が伝う。
「お待たせ致しました。」
思わず椅子を引こうとした時、ウェイターがグラスの乗った盆を捧げ持って現れた。
テーブル下の悪戯が止み、三成はつかの間の安堵のため息をつく。
たくしあげられた裾をさりげなく直しながら、顔をあげるとジャケットの内ポケットからピルケースを取り出す左近と目が合った。
銀細工の蓋を開けてそこから白い錠剤を一粒取り出すと、左近はそれを三成の前に置かれたグラスの中に落とす。
細かな泡に包まれてそれはすぐに黄金色の液体の中に解けて消えた。
「乾杯しましょう。」
グラスの長い脚に指を掛けて左近は三成に杯を促した。
三成が拒んで逃げ出すことなどあり得ない。
それが当たり前のこととして左近は振る舞う。
助けを呼んだとして、誰が信じるだろう。
部下に監禁されて
好きなように犯されて
女の格好をさせられて
公衆の面前でペニスを勃起させられています、なんて。
会社と自身の体面を傷つけるだけだ。
グラスに落とされた錠剤が何であるかはわからない。
死ぬようなことはないにしろ、どうせろくでもないものに違いない。
そんなものを自らの手で飲み干すことを目の前の男は要求し、自分はそれに従うしかない現実。
せめて指先にまで及ぶ震えを悟られないように。
それでも薄い淵同士が触れ合った時に、ガチリ、と不快な音を立ててシャンパンの水面が波打った。
「そういえば、」
三成の白い喉が上下して、空になったグラスをテーブルに戻すのを見届けた左近は、彼の愚かしい勇気に溢れた行為をねぎらうようにそっと手を伸ばした。
俯いてばかりいたせいで乱れて顔にかかる前髪をいかにも優しい仕草で払ってやりながら、穏やかに彼は語りかける。
「初めて貴方に会った時も、こうして乾杯しましたね。」
一気に嚥下した液体が通った箇所が燃えるように熱い。
咥内も、喉も、食道も、胃も。
「あの時も同じ曲が流れていた。」
やがて熱は血管を伝い、全身に広がっていく。
ドッペル・コンチェルト
「“ふたつのヴァイオリンのための協奏曲”。
貴方はいつか左近と合奏すると約束してくださった。
今夜、お約束を果たしましょう。」
彼は覚えていたのだ。
二人が出逢った時のことを。
頭の中が蕩けてグラグラと廻る。
心臓が早鐘のように激しく鳴り響く。
全身の皮膚から吹き出る汗を止めることができない。
テーブルの上に突っ伏してしまわぬよう、ナイフとフォークを取り落とさないよう、務めて平静を装ってはみても吐かれる吐息はひどく熱い。
若い頃からフランスで長く修行を重ねたというシェフが心を砕いて作り上げた皿の数々はほとんど手をつけられないまま下げられていった。
あまりに尋常ではない様子に体調をウェイターが気遣う声をかけたが、それに代わって答えたのは左近だった。
「人前に出るのは久しぶりで少し緊張しているんだ。
そっとしておいてくれないか。」
そう言われてしまえばもう誰も口出しは出来ない。
「少しは何か口に入れないと。」
細かく切り分けた鴨の肉片が鼻先に突きつけられる。
このまま食べろ、と目線が命じている。
どこまで貶めば気が済むのだろう。
普段ならばテーブルを蹴って怒りだすだろう。
けれど今は朦朧として何も考える事が出来ない。考えたくない。
三成は言われるがままに鈍い動作で顔を近づけ、舌を突き出した。
それが器用にフォークの先から真っ赤に熟れた肉を受け取り、同じ色をした咥内に迎え入れられて行く様を左近は楽しげに眺めていた。
「ソースもどうぞ。」
皿に残ったそれを指で掬って差し出すと、先程よりは幾分従順に吸い着く唇。
「そのまま。
これは鴨の骨を砕いて、血と混ぜて作るんです。
よく味わってくださいよ。」
「んっ...ふ。」
薄い舌が拒んで逃げを打とうとするのを押しのけて、喉奥まで指を差し込んでやる。
熱に浮かされた粘膜を指先で嬲りながら、つややかな歯牙の感触までをも楽しむ。
そうしながら左近は昨晩の三成の痴態を脳裏に思い起こしていた。
こうなるまでは、口での奉仕などは想像だにしなかっただろう。
彼の異性関係については浮いた話をきいたことがない。
この容姿に名を知らぬ者は無い大企業の次期後継者という地位。
言い寄る女には困らなかったはずだ。
けれど暴いてみればその身体は童子のそれ同然に清らかであった。
施す事はもちろん、施されることにさえ抵抗を示し、半狂乱になって拒んだくせに一度覚えた悦は堪らぬものであったらしい。
達する寸前で戒め、解放を餌に強いれば恥辱に悶えながらも想像以上に従順に猛ったペニスに口を寄せる。
口淫自体はこの短い期間に上達を望むべくもなくひどく拙いままであったが、何より整いすぎて表情に乏しいその顔が醜く歪む様が好ましくて左近はわざと頬内の柔らかな粘膜に先端を擦り付けてそれによって生じる奇形を堪能した。
「..ぅあっ..ぁんっ!」
短く整えられた爪先に、上あごの固い骨をくすぐられて三成の肩が跳ね上がる。
例えば浮き出た腰骨、汗を溜める鎖骨、背を反り返らせた時に現れる干潟の浅瀬のような肋。
彼が肉の薄い皮膚ごしの骨への愛撫に弱いことを、左近はここ数日の交わりの中で知った。
そんな場所を見つけ出して弄ってやる度に、意の侭にならない彼の心を踏み越えてその身体に直の悦びを与えてやっているような充足感のあることも。
「ふぁ...っ。」
閉じる事を禁じられたままの唇の端からつ、と涎が落ちる。
ふやけて皺の寄ってしまった指を引抜くと、最後はそれだけに支えられていた頭がついにがくりとテーブルの上に崩れ落ちた。
銀のテーブルセットが床に叩き付けられる派手な音を聞きつけて先程のウェイターが駆け寄ってくるのが見える。
「行きますよ。続きは部屋だ。」
テーブルクロスの上に投げ出されたまま、小刻みに震える腕を掴んで左近は席を立った。
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