本当は ずっと 好きだったのに

 

 

 

 視界に映る限りの地上を埋め尽くす幾万の星。
 天に広がる本物のそれすら人の作り出す光に霞む空、小さなまあるい月が所在無さげに浮かぶ。
 ほんの一週間前まであの光の中で生きていた事が遠く幻のようだ。
 冷たいガラスに額を預けて、三成はぼんやりとそんなことを思った。
 シャワーを浴びたばかりでろくに水気を拭き取らなかったせいで熱を失いつつある。
 けれど先程まで指先だけで散々に嬲られた身体にはそれが心地よい。

「気分はどうです?」

「最悪だ。」

 背後からの声に振り向かずに答える。
 その男の手の中に、むせび泣きながら幾度精をまき散らしたことか。
 そんな痴態を忘れたかのような短くつれない返事に、男が皮肉に肩頬を釣り上げるのが今はもう、気配で分かるようになってしまっていた。

「それは困りましたね。
 今夜はこの下のダイニングに席をとってあるんです。」

 声だけは低く落ち着いて優しいまま、その男--島左近はゆっくりとした足取りで窓際の三成に近付いてきた。 

「久しぶりに貴方と食事がしたいと思って。
 独りで食べるルームサービスももう飽きたでしょう?」

 背を向けたままの三成の肩に左近の手が触れる。

--俺に触るな!

 罵声が喉元まで出かかるのを必死で飲み込む。
 そんなことをしても無駄だという事は星を見下ろす最上階のこの部屋の閉じ込められた日から思い知らされた。
 何を言ったところで、またしたところでここでは結局男の言うなりになるしか無い。
 それがお互いに交わした“賭け”のルールなのだから。

「お食事に行きましょう、三成さん。」

 まだ湿って白い頬に張り付く髪を梳きながら、左近は眼前の耳朶に唇を寄せて囁きかけた。

「とっておきのおめかしをして、ね。」

 

 

 

 羞恥に真っ赤に染まった耳朶にドレスとお揃いのピジョンブラッドのピアスを付けて、ついでとばかりに左近はその首筋に軽く口づけを落とした。

「素敵だ。思った以上ですよ、三成さん。」

 誰の目にも最高の淑女と映る姿。
 しっとりとした肌触りで身体にまとわりつく深紅のシルクのイブニングドレスはとてもシンプルだけれど、計算し尽くされたカッティングのおかげで凹凸の無い胸と腰回りも不自然ではない。

「...どこまでも悪趣味な男だ、貴様は。」

 怒りと屈辱とに震える声に左近は満足げに微笑んだ。

「仕上げをしましょう。」

 太い腕に肩を掴まれ、ガラスに身体を預ける格好をとらされる。

「これ、懐かしいでしょう。」

 左近がスーツのポケットから取り出しものに三成は目を見開いた。
 鶏の卵より一回りほど小さな楕円形の球体。
 その端からは細いコードが伸び、小さなコントローラーへと繋がっている。
 最初の頃、そこに男を受入れることなど想像だにしなかった三成の身体に、拡張のためだと幾度となく使われたことのある玩具だった。

「舐めてください。」

 つるり、としたプラスティックが唇に押し当てられる。

「嫌ならこのまま突っ込みますよ。
 まあ、今の貴方ならこれくらい楽に飲み込んでしまえるでしょうから。」

 嘲りを多分に含んだ左近の言葉に、せめて目線だけはするどく、けれど三成は言われるがままにそれに舌を伸ばした。
 この男のことだ。本当にそのまま玩具を使うだろう。
 それに伴う苦痛。
 三成の聡い頭脳は目の前の屈辱と身体への負担を計りにかけて、男に従うことを選択した。

「ん..ふぁ..。」

 口を大きく開けて、流石に全てを含むことはできなかったけど舌先に溜めた唾液を絡ませていく。

「とてもいやらしい顔だ。」

 細い顎を伝って鎖骨に流れる唾液がドレスを汚さぬようにと、左近は舌先で舐めとるべく舌を伸ばした。

「ぁっ。」

 ざらり、とした男の舌が肌に触れると三成は鼻に抜けるような小さな悲鳴を漏らした。
 このまま抱いてしまいたい。
 そんな衝動が左近を誘う。
 けれどまだだ。
 お楽しみはまだ、これから。

「もういいですよ。」

 べとべとに濡れ光る玩具が唇との間に銀の糸を引いて離れるのを、三成の瞳が心無しか名残惜しそうに追ってくる。

「脚、開いて。」

 足首まであるドレスの裾をたくし上げ、左近は素直に開かれた脚の奥に玩具を滑り込ませる。
 慣れた指先でまさぐるそこはいつも熱い。
 彼とて生きた人間なのだからそれは当たり前のことなのだけれど、左近には彼の冷たい美貌の内側に生きた血潮を廻らせていることが不思議に愛しかった。

「んンっ!」

 あれだけ嬲った後でもつつましい窄まりを崩さない入り口に玩具の先端が触れた。

「ぁあっ..あっ..あぁっっ!」

 自ら施したぬめりのせいで引き攣れることも無く、ずぶずぶと胎内に玩具を受入れながら、三成は喉を仰け反らせて嬌声をあげた。

「ほら、すっかり入った。」

 コードだけを残して玩具は全て三成の中に隠れてしまった。
 見た目はそれほど大きくはなかったはずなのに、ごろりとした形状と固い質感はひどい異物感をもたらし、三成はうっすらと肌を粟立たせる。

「弱くしておいてあげますから。」

 そんな三成に追い打ちをかけるように左近はガーターベルトに挟み込んだコントローラーのスイッチに手をかけた。

「や、いや!」

 三成の意思など顧みること無く、緩慢に単調に。
 繰り返される振動に責めさいなまれながら、さらにこの先に待つ拷問にも似た時間に三成は気の遠くなる思いがした。   
 

「腕に掴まってください。」

 足下がひどく頼りないのは10cmもあるピンヒールのせいだけでない。
 屈辱に震える唇を噛み締めながら、歩を進める度に胎内に埋め込まれた玩具が内壁を抉る。

「落とさないように気をつけて。」

 嗤いを含んだ低い声を耳元に吹き込まれて三成は思わず肩を跳ねさせた。
 この声を好きだと思ったこともあった。
 この声に自分の名を呼ばれたいと焦がれたことも。
 決して、こんなふうにではなく。

 

 

 

 ずっと幼い頃から彼は側にいた。
 身寄の無い自分を引き取ってくれた養父の会社の優秀な社長秘書。
 最初はそう紹介された。
 公私にわたって養父に仕えていた男は三成の身の回りのことにも何かと世話を焼いてくれた。
 同年代の友人の少ない三成の、時には話し相手となり、時には企業経営を教える教師であり、何よりも良き理解者として。

--三成は優秀なんさ。この年でもう人を動かすことをわかっちょる。

 ゆくゆくは儂の跡を継がせたい、とくったくのない笑顔を浮かべる養父に肩を叩かれて、柄にも無く照れる三成を男は柔らかな眼差しで見つめていた。

--そしたら、お前が三成を支えたってや。

--ええ。もちろん。この左近、これまで以上にお仕えするつもりですよ。

 その言葉を、自分を見つめる柔らかな眼差しを、どれほど頼もしく思ったことか。
 そしてその日をどれほど待ち遠しく思ったことか。

 養父の突然の死とともにそれは、幻となってしまったのだけれど。

 一代で築き上げた巨城、主人を失うとその大きさ故の脆さを露呈した。
 養父はいつも優しいだけの人では無かった。
 経営をここまで広げる為に多少強引な手だてを使ったこともある。
 それを怨みに思う人間が少なからずいることを三成だって知っていた。
 加えて、後継者争い。
 実子に恵まれなかった養父は三成のように優秀な子供を他にも何人か引き取って自分の跡を継がせるために養育していたのだ。
 その中でも三成に一番目をかけていたのは明らかだったのだが、明確な遺言を遺さぬまま逝ってしまったことをこれ幸いにと、若くして台頭し始めていた三成を追い落とそうとする者たちが露骨に動き出す。

--大丈夫です。俺に任せて。必ず貴方をトップに伸し上げてみせる。

 孤立して、心身共に弱り切っていた三成は男の言葉に何の疑いも無く縋った。

--ただし。

 今思えば、あの時既に自分はこの男の放った糸に絡めとられていたのだ。

--ただし、これが全部上手く片付いたら、その褒美に俺と賭けをしてください。

 雁字搦めに捕われて逃げ場を無くしていた三成に出来たのはその意味も分からずにただ首を縦に振ることだけで、その結果がこんな様になるなんて、けれどあの時、他にどんな手だてがあったというのだろう。
 結局は己の力無きが故。
 人を簡単に信じたが故の過ち。

「おっと、ほら、言わんこっちゃない。」

 芯でくすぶる快楽に倒れ込みそうになる身体を男の腕が支える。
 そうだ、今だって結局、抗えない。
 三成はなす術も無く目の前のしがみついた。

 

 

 

 そう、これは賭けだ。
 この男の言うなりになるのも。
 屈辱に甘んじてみせるのも、それ以外の何の意味もない。
 実際、自分は数々のライバルを蹴落としてトップに立った。
 これはその報酬。
 しかも、自分が勝てばいいだけのこと。
 それだけのこと。
 

--1週間です。1週間、耐え切れたら、貴方は自由だ。

 今日がその7日目。
 三成は自分を支える男の腕時計を盗み見る。短針は8を少し過ぎていた。 この男から逃れることができる期限は日付が明日に変わる午前0時。
 あと4時間弱。
 果たして、保つだろうか。

--耐え切る、とはどういう意味だ。

 取引をあくまで冷静に進めようとする三成に左近は苦笑を浮かべながら答えた。

--そうですね...貴方から俺を求めることが無ければ、ではいかがでしょう。

 誓って言える。そんなことがあるはずがない。
 7日間、耐え忍べば良いのだ。
 身体に与えられるであろう恥辱と、心を苛む裏切りに。
 自分を裏切ったこの男を求めることなど、もう無い。

--では、万が一、俺がこの賭けに負けたらどうなる。

--俺の物になってもらいます。
 貴方も、貴方の会社も、貴方が持っている全て。

 男の口ぶりには既に三成が自分の物になるという確証が滲み出ている。

--下衆め。

 この男はいつもそうだ。自信たっぷりの物言い。
 そうしてほとんどの場合はその通りになってしまう。三成をトップに伸し上げた時も。
 けれど今回ばかりは思い通りにさせるわけにはいかないのだ。

--ひどい言い方だな。俺は貴方にチャンスをあげたんです。
“賭け”というチャンスをね。 
 貴方は俺の力で他の奴らを出し抜くことが出来た。
 その時に強引にモノにすることだってできたんですよ。
 貴方はこの7日間、俺を拒み通せば良い。
 簡単なことだ、今の貴方なら。

 そうだ、今の自分には許せない。許せるはずが無かった。
 会社が欲しければ呉れてやる。
 抱きたいと言うのなら身を任せても良い。
 左近が心から望んでくれるのなら何もかもを投げ出しても構わなかった。
 それほどに、想っていたのに。
 彼にとっては賭けなどの対象になるほど戯れに過ぎなかったのか。
 会社のことも、自分のことも。

--まあ、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。
 思っているほど辛い目には遭わせないつもりですから。
 やりようによっては貴方だって楽しめるかもしれない。

 言葉通り肉体的な苦痛を与えられるようなことは無かった。
 例えば目に見えるような傷跡を残したり、医者の手にかからねばならないようなことはまだ一度足りとてされていない。
 性に対して暴力的な嗜好を持つ人間がいることを三成は知識でだけは知っていたから、左近がそうではないことに密かに安堵した。
 鳥籠として用意された都心に建つ高級ホテルのインペリアルスィートの居心地は決して悪くはなかったし、左近の監視の下ではあったがパソコンや携帯を通して会社に指示を送ることも許された。
 必要だと思う物は言い出す前にいつの間にか部屋に用意されていて、それらが左近の計らいであることが逆に三成を苛立たせた。
 会社から返ってくるメールの様子から察するにどうやら自分は1週間の休暇をとっているということになっているらしい。
 スケジュールを管理するはずの秘書も重役たちも自分の側近である左近の言葉を信じている。
 自分の気付かないうちに左近は社内の信用を得ていた。
 このままではいつのまにか自分に成り代わって左近が実務を取り仕切っていても誰も気付かないかもしれない。
 ここに来て思い知らされた不安をよそに、左近の態度はあくまで丁重だった。
 最初の時ですら、左近はまるで一枚一枚薄皮を剥ぐような慎重さで三成の身体を拓いていったのだ。
 ゆっくりと時間をかけて身体を解される、優しさにすら似た行為。
 皮膚という皮膚を巧みな指先が這い回ってその度に快楽の焔を植え付けられる。
 全身が燃え上がるような感覚に捕われるに至って、やっと吐精を許され、今度は立て続けに搾り取られた。
 仕舞いには泣きじゃくりながら吐き出すそれも水のように薄まり、半ば気を失ってベットに沈んだ三成を左近は貫いた。
 もはや快楽に麻痺して融けきった身体は情け無いほど易々と男を受入れる。
 丁寧に慣らされたせいで痛みもほとんど感じない。
 あるのはなぎ倒されそうな悦楽だけで、その中で一縷の理性を保ち続けることがどれほど苦痛であったことか。
 甘く嬌声を上げてねだることが出来たら、腕を絡み付かせて誘うことが出来たら、どんなにか楽になれるだろう。
 何もかも忘れて深く深く、与えられる悦に浸り切ることだけができたら。
 かつては本当にそれを望んだこともあったのに。
 いっそ酷く痛めつけて欲しかった。
 骨も肉も、めちゃくちゃに砕いて引き裂いて、そうすれば絶望も忘れるほど憎むこともできたのに。
 この男、島左近が苦痛ではなく、三成の知り得なかった快楽をもって彼をその身の内側から崩壊される為にこの“賭け”を持ち出したのだと気付くのに彼は既に時を逸していた。