まだ宵の浅いうちから、三成は地獄は始まっていた。
 二人の男が獣のように這った格好の三成を前後から責め立てている。
 後ろから襲う快楽からどうにか逃れようとしても、前に立ちふさがる男の性器を加えさせられたままでは身動きどころか、呼吸すらままならない。

 
「おい、治部少。」
  

 後ろから突き上げてくる男が名を呼ぶ。
 

「お前の処刑の日が決まったぞ。」
 

 つ、と指を三成の首筋に這わせながらさも楽しそうに男は続けた。
 

「大阪と京で市中引き回しの後、六条河原で斬首だそうだ。」


 息苦しさに外れそうになった唇を、顎を掴んで押さえつけ前の男も口を挟んだ。


「残念だな、人々の前で引き回されるお前を見てみたいが。」
 

 二人分の嘲笑が三成の身体に降り注がれる。
 

「首になってはこのような悦びも味わえまい。
 今宵はたっぷりと馳走してやるからな、今生の悔いなく味わうが良いさ。」
 

 いっそう激しく身体を揺さぶられ、うねる劣情に身を焼かれながら三成は遠い人のことを想っていた。

 左近。

 生きているのだろうか。どこにいるのだろうか。
 

 左近。
 

 そのわずかな思考も悦楽という名の靄によって次第にかき消されていった。

 

 

 

 

 遠くに楽の音が聞こえる。
 極楽とはこういうものか、と左近は思った。酔った女の笑う声まで聞こえて、これではまるで通い慣れた遊郭と大差ない。
 しかし、果たして自分のような殺生を重ねた人間が極楽往生を遂げられるものなのか。 誠ならばこの目で確かめてみたい。左近は重い瞼をゆっくりと開けた。
 紅い天井。
 生きて、いる。

「ぅがっ。」

 身体を動かそうとして全身に走った激痛に左近は顔を歪めた。
 上半身を起こす事も叶わない痛み。それでもどうにか頭を巡らせて左近は自分の身体を見た。肩、腕、胴、足先に至るので目のつくところ全てが包帯にくるまれていると言っていい。特に酷いのは胴の弾傷。あの状態で動いた為膿んだのか、そこには特に厳重に巻か白布が巻かれていた。

「殿っ..!」

 どうして自分が助かったのか。ここはどこなのか。
 それを確認する前に左近の思考を支配したのは戦場で生き別れた主人のことだった。

「ぅ..。」

 左近は重く痛む身体を引きずり、襖めざして這った。
 たかだか数メートルの距離が今の身体には無限のように感じられる。
 鬼の左近ともあろうものが情けない、と自嘲気味に笑う顔に脂汗がにじむ。 

「まぁ!左近様!!」

 半分までも進まぬとところで襖が開いて見慣れた女が叫び声を上げた。

「お目覚めになったんですね。まだ傷口が塞がってはおりませぬ。無理をなさっては..!」

 女が人を呼んで、左近は床に連れ戻された。
 女は手際良く無理な運動で血のにじんだ左近の包帯を取り替えるとすぐに下がった。
 代わりに、音も無く襖が開き、気配のない影がするりと枕元に寄ってくる。

「お前か。」
「..はい。」

 男は密偵や刺客として雇っていた忍びの者だった。たしか関ヶ原の戦にも物見として加わっていたはずだ。

「ここは。俺は、どうして。」 

 忍びの話では、混戦の中、ついには馬を失い地に伏していた瀕死の左近を拾い上げ、荷駄に隠してこの京の馴染みの遊郭まで運んだのだと言う。遊郭であればその性質上、互いの客のことを詮索し合ったりはしない。まして以前から随分と通いつめた店である。女達は争って左近を介抱したのだという。

「あれからどれほど時間が経った。」
「十日、ほど。」

 そんなに自分は眠っていたのか。

「...殿は。」

 一番、心にかかっていた事を訪ねる。過ぎた時間の多さを考えると何らかの報は届いているのだろう。
 忍びは、一瞬の沈黙の後、重く口を開いた。

「石田様は東軍の手に捕らえられ..。」
「あぁ!!」

 左近は呻いた。予測していた事態とはいえ、目前が闇に覆われた気すらした。

「大阪に送られ、市中引き回しの後に六条河原で刑に処されると聞いております。」
「殿をお助けに参る!」

 眠っている間もずっと枕元に置かれていた刀をとって左近は起き上がろうとし、その途端に走った激痛にがくりと膝を折った。

「いけません!お身体がまだ!!」

 それでも前に進もうとする左近を忍びがすがりつくようにして押しとどめる。

「よいか、」

 左近は苦しげな息のうちから、忍びに向かって言った。

「お前に殿を託す。
 いかようにしても殿をお連れ申せ。」

 大きくひとつうなずくと、忍びは左近を再び床に戻し、夜の闇に姿を消した。

 

 

 

 

 深夜、というよりはもはや明け方に近い時刻。
 三成は寝付けずに座したまま牢のすすけた壁を見つめていた。
 男達の蹂躙からやっと解放されたものの、無理な要求が続いたせいで身体のそこかしこが痛む。その身体をかばいながらね三成はほっと息をとつく。この刹那だけが独りになれる唯一の時間だった。
 辺りはしん、と静まり返り、物音一つ聞こえない。
 おかしい、と三成は思った。いくらなんでも獄吏が寝ずの番についているはずであるのに。

「三成様でございますね。」

 聞き慣れない声に、三成ははっとして辺りを見回した。
 姿は、無い。人の気配さえも。
 しかし押し殺した声は影のように三成にだけ届く距離から聞こえてくる。

「お迎えに上がりました。牢番は眠っております。急ぎ、ここを抜けます。」

 これは罠か。三成は声に問い返した。

「いかにも我は石田治部少輔三成である。いずれの手のものか。」
「島左近さまの。」

 その名に、一瞬時が止まり体中の皮膚が震えが走った。

「左近がっ、左近が生きておるのか!?」

 自然と高くなる声を制して影が続けた。

「戦場を落ちられ、未だ重症ではありますがご健在です。
 さぁ、お早く。」
「そうか...。」

 良かった、と三成は口の中で呟いた。
 左近が生きている。それだけで、心が軽くなっていくような気がする。
 左近は死ななかったのだ。自分の為に死なせず済んだのだ。

「お早く、三成様。」

 せかす影に三成はゆっくりと首を横に振った。

「俺は、ゆかぬ。」

 背筋を伸ばして、小さいけれど声は凛として影の耳に届いた。

「石田治部少輔三成の生き場所はここだ。
 逃げたところでこの日の本のどこに隠れて生きよというのだ。」
「しかしっ、左近様が!」
「言うな。」

 闇に霞んではいたが、その顔にはすがすがしいほどの笑みがあった。

「左近に伝えてくれ。
 三成はお前のお陰で生きることができたと。幸せ者であったと。」
「三成様っ、それでは、しかしっ!」 

 影はなおも追いすがる。それはもはや主人である左近の命のため、というよりは目の前の三成に惹かれてのことだった。

「お前ももう去れ。このままおれば牢番を呼ぶ。」
 

 ここで引けば、この人には死が待っている。どうにか言葉を紡ごうと刷る影に向かって三成はこれが最後とばかりに言った。

「左近に、しかと申し伝えてくれ。」

 頼む、と。その声があまりに強かったから。三成の決意が自分の身では曲げられないことを知るには十分だった。

「...確かに、承りまして..ございまする。」

 去り際に苦しげに呟いて影は消えた。
 独りになった三成は
 感情が波のように押し寄せてくる。

 左近。
 左近。
 左近。

 生きていた。
 もう駄目かもしれないと思う一方で、あれほど男が簡単に死ぬはずがないとも信じていた。それが今、この時、遥か隔たれてはいるものの、この世に同時に存在する喜びに心も身体も焼き切れそうになる。
 会いたかった。
 叫びだすほどに会いたかった。この身がただの一羽の鳥ならば千里を越えても飛んで行こう。
 でも会えなかった。
 会ってしまえば、それは同時に“石田治部少輔三成”の死を意味する。
 ひとりのつまらぬ男として生き延びる事をはたして左近は望むのだろうか。何よりも三成自身がそんな自分を許してはおかない。

 左近。
 左近。
 左近。

 明けの光が牢内に差し込むまで、三成はその名を呟いていた。

 

 

 

 

「...まこと、殿がそのようにおっしゃったのか。」
 

 床に伏したままで忍びの報告を聞いた左近は、吐くように言った。
 命が果たせなかった事を影は俯いたまま詫びたが、左近はけっして責めなかった。
 三成の意は決している。
 自分にそれを翻す力は無い。
 それだけ決意は固い。
 主人の意に殉ずるのが家臣の役目ではないか。
 そしてその高潔な意思。それに引かれて家臣となったのではなかったか。
 分かっている。分かってはいても、左近自身の心は全く別のものである。
 忍びの労をねぎらって下がらせると、左近はその大きな手で顔を覆った。

「あぁ..ぅあ..あ.. 。」

 押し殺した嗚咽が止まらない。
 あの時、一緒に落ちていれば。
 肩に置いた手で、その人の手を取ってふたり、落ちて行けば、あるいは。
 今となっては栓の無いこととはいえ、もうひとつの未来が左近の頭をよぎる。
 狂おしいほどの激情が傷だらけの身体を駆け抜ける。それは両の目から溢れて枕を濡らす。
 大の男がだらしない、とあの人は笑うだろうか。それでも構わない。笑えるのなら、笑って欲しい。

 殿。
 殿。
 殿。

 愛しい人の面影を求め、左近は声が枯れるまで叫び続けた。

 

 

 

  
 三成の身柄は大阪に移送された。軍装も物々しい警備に囲まれて市中を引き回された後、京に移され、そこでも同じような仕打ちが待ち受けていた。
 六条河原に引き出された時の三成はいささかも恐れるそぶりも見せず、むしろ関ヶ原での勇姿を、それを知らぬ見物の人々にも想わせるが如くの振る舞いだった。


「お覚悟はよろしいか。」

 刑吏の声に三成は頭を下ろす。 
 襟足からすっくと伸びた白い首筋。ひとつの染みも無く、男にしては細く長い。
 これ以上、斬りがいのある首があろうか。その可憐ともいえる様に一時見入った刑吏だったが、自分の役目に気を取り戻し、刃を構える。

  

  

 

  

 白刃が一閃し、三成は瞳を閉じた。

 

 

 

 


  

あともう1話だけ続きます...