初芽は半ば気を失ったように眠っている。
 そうすることが正しいのかわからぬまま、本能に駆られるように俺は初芽を抱いた。
 感極まって叫ぶ時のかすれた声、快楽に振り乱される亜麻色の髪、まだ硬さの残る青い身体までもがあの人と重なって、俺は加減を忘れて少女の身体を貪った。
 初芽の寝顔はまだあどけない。すうすうと規則正しい寝息が薄い唇から漏れ、長いまつげが月に照らされて濃い陰を落とすのを俺は飽かず見つめていた。
 こんな光景を昔、幾度も見た気がする。
 ふと、肩のあたりに小さな痛みを感じた。初芽が俺の背に腕を回した時に爪を立ててた跡だった。
 何か軟膏でもないかと、勝手に小さな鏡台の引き出しを探す。
 紅やら白粉やらにまぎれて、それは大切そうに袱紗に包まれてあった。
 悪い、とは思ったが俺はなんとなくそれに興味を引かれ、紫のちりめんを解く。
 櫛だった。
 黒漆に螺鈿で石田の九曜紋の施されたそれ。
 決して身分の低い者が持つ物ではない。自ずから石田家と少女とのごく近しい間柄が推測される。あの人にこれほど年の離れた妹がいたという話は聞いた事はない。しかし、あの容姿。ということは。
 俺の推測は、おそらく当たっている。
 俺は櫛を元のように鏡台に戻すと眠る初芽を再び見つめる。
 この小さな少女が俺の失った全てを埋めてくれるような気がして。

 

 

 

 それがわかったところで、俺は2日と置かず初芽の元に通い尽くした。

 
--初芽、あの時、六条河原で俺と初めてあった時、お前は何をしていた。

 
 一度、俺は寝物語に初芽に聞いてみた事がある。
 

--治部少様の首を、見ていました。
--首を見て、何を思った。
--ずるいひと、と。
 

 思いがけない答えに俺は興味をもって問いを返した。
 

--ずるい?
--だってそうでしよう?
 あれだけたくさんの人を殺しておいて、たくさんの人を苦しませて、あんなに穏やかなお顔で眠ってらっしゃるんですもの。
 ...ずるいわ。
 

 言葉の最後の方はかすれて聞こえなかったけれど。その理由を俺は聞かなかった。

 

 

 

 俺は初芽を身請けした。
 もう誰にも、初芽を触れさせたくなかった。
 

--お前はもう、俺の物だ。他の男に抱かれなくても良い。

 そう告げると、初芽はきょとんとした顔で俺を見ていた。縁もゆかりもない自分に、ただの客の俺がどうしてそこまでしてくれるのか合点が行かない、というのだ。
 

--嫌か?
 

 と、俺は聞いた。
 

--俺が嫌いか?
 

 初芽はそれが当然であるかのように首を横に振って、身体全部で笑った。
 俺の素性は初芽に知らせていない。
 俺は初芽を必要とし、初芽は俺を好いている。理由はただ、それだけでいい。

 

 

 

 祝言こそあげなかったものの、初芽は名実共に俺の妻になった。
 初芽は俺を「旦那様」と呼んだ。
 俺たちは遊郭を引き払い、都のはずれの山奥に、小さな農家を買って移り住んだ。
 徳川に寄る西軍の残党狩りは随分なりを潜めてたものの、まだ完全に打ち切られたという話は聞かない。そんな中で一所に留まるのは危険も多かったが、何より初芽をこのままこのような場所に置いておきたくはなかった。
 一振りの愛刀だけを手元に残し、忍びの者にも暇を出した。もう俺たちには戦う道具は必要ない。
 耳の聞こえない老婆を一人雇い、身の回りのことをさせる。それ以外は人を近づけない。
 毎朝、初芽を膝に乗せて化粧を施す。
 初芽は俺が身を飾ってやる時は、おとなしくなにされるがままにしている。
 鏡越しにその切れ長な深く澄んだ瞳をみつめているとあの人が腕の中にいるような錯覚にひきずりこまれそうになる。
 もともと肌は白いので、白粉の類いは必要ない。
 小指にのせた紅で小さな唇を象ってやる。
 彼女の髪はもう髷を結う必要もないので、肩ほどの長さに切ってしまった。そうした彼女はその怜悧な美貌のせいもあって、ともすれば少年のようにも見える。あの人がそうであったように色素の薄い少し癖のあるその髪を丁寧に梳り、庭に裂いていた花の一つでも差してやればどんな高価な簪よりもよく似合った。
 その日着る物を選んでやるのも俺の役目だ。初芽の衣装は全部、都の織物問屋に選ばせた。南蛮渡来の珍しい生地のものから、絵師が染め付けたと言う1点物まで。季節と色目を考えて、決して同じものが二日続かないように。 
 それを着付けて、錦の帯を締めてやると一個の美が出来上がるのだ。
 誰に見せるためでも無い俺だけの人形。
 初芽はきっと知らない、あの人の、形代。
 

--今日は何をして遊ぶ?旦那様
 

 街に買い出しに降りる日以外、初芽はそう言って俺にまとわりついていた。


--そうさなぁ、そろそろ鮎でも釣りに行ってみるか。
 

 俺たちは飯炊き婆に弁当を作らせて近くの渓流に鮎去りにでかける。俺が釣り糸を垂れているあいだ、初芽はまわりの花を摘んでいた。
 

--どう?旦那様、釣れた?
--いいや、まださ。
--旦那様はへたくそね。がんばらないとお夕飯のおかずがなくなってしまうわ。
--じっくり待つのがいいのさ、釣りも女もな。
 

 そう言って俺は側に立っていた初芽の足を抱き締めるとそのまま膝に抱き込んでやった。
 初芽は最初こそ、暴れて可愛らしい抵抗をしたものの、あとは小さくなって俺の腕の中に収まった。
 初芽を抱いたまま、俺は釣り糸を垂れる。
 

--旦那様。
 

 腕の中の初芽が見上げるようにして言った。
 

--旦那様は、何を見ていらっしゃるの。
  

 あの時、初芽は何故あんなことを聞いたのだろう。
 俺の目の前には、お前しかいないのに。
 

--お前を見ているよ、初芽。
 

 初芽の笑みはどこか少し、壊れた玩具のようだったけれど。

 

 

 

  

 俺たちだけの世界がここにあった。
 それは下界とは固く閉ざされ、甘く、淀んでいる。
 こうして俺たちのままごとのような生活が続くことを俺は願っていた。