藤堂高虎が1人暮らしを謳歌するマンションはワンルームながら駅にも近く築浅で南向きのベランダ付き、男子の独り住まいにも関わらずいつも整然と片付いて掃除も行き届いたその居心地は至極快適であった。
 あの早朝の邂逅以来、直政が高虎の自宅に足繁く通うようになるのにさして時間はかからなかったのも必然といえよう。
 何せここに来ればいつだってソフトドリンク飲み放題、かつスナック菓子も食べ放題、雑誌も漫画も読み放題という高級マンガ喫茶並の饗応が待っている。
 加えてたまには高虎手作りの料理が饗されたり、運が良ければデリバリーのピザまでごちそうしてもらえるのだ。
 さらにはいつの頃からか、直政が毎週バイト先で立ち読みしていた漫画雑誌の最新号がさりげなく置かれているようになり、コーラはペプシ、ポテチは小池屋のり塩、と直政の好みを知り尽くしたもてなしが為されるようになっていたのだが、極めてシンプルな思考体系を持つ彼はこれに対し“お、ラッキーv”程度にしか思ってはおらず、特別に疑問を抱くことはなかった。

 

 はじめはバイト終了後の仮眠室として。
 時にレポートを仕上げる為のプライベート図書館として。
 仕舞いにはこちらのほうがバイトに行くにも近くて便利だからと言う理由だけで直政は大学が終わってからも本来の住まいとは逆方向の高虎邸に向かってペダルを漕ぐようになり、アトリエに籠る時間を除いては自宅にいるよりもこちらに居る時間の方が格段に長くなった。
 実際のところ、この頃になると自宅であるボロアパートは画材倉庫程度の格付けに落ちたといったほうが正しいのかも知れない。

 

 このようにして藤堂高虎は井伊直政を我が檻に囲い込む事に成功した。
 その檻の目はその気になれば自由に出入りできるような実に荒いものであったのだが。
 ひとまず、高虎の計略は成果を得たと言えよう。

 

 頃合いと見た高虎は直政に“俺たちみたいな関係ってなんていうんだろうな?”などという実にうざったい問いかけを発してみたことがある。
 それに対し、出されたばかりのこたつに潜り込んで腹這いになりヤンマガの袋とじをはやる心を抑えながら慎重に切り開いている最中であった直政の回答は“ともだちじゃねぇの?”という実になげやりなものであった。
 俺を差し置いて袋とじを開けるな、という矮小な怒りと共にこの瞬間より高虎は“友達以上”に昇格を遂げるべく攻勢に出ることを密かに誓う。
 その第一歩はなるべく直政に自分が他の“友達”とは異なる、より親密な存在であると印象づけることから始まった。

--人と人の距離感を手っ取り早く縮めるためには猥談に限る。

 高虎はそう考えた。
 この点の発想は酔っぱらって部下の女性に絡む質の悪い上司並であるのだが、いかに建築科の策士と呼び称される高虎といえども恋は盲目。
 とにかく高虎は、直政の性的趣向をより具体的に探る意味でも直政と少なくとも、修学旅行の男子部屋レベルのシモネタ的会話は交わしておくべきであると考え、それを切り出す機会をまさに虎視眈々と狙っていたのである。

 

 

 

 しかしてその機会はとある週末の深夜に訪れた。
 いつものようにスナック菓子を喰い散らかしながら、昨今の学食の盛りの少なさと味の粗雑さ、半野外の彫刻科のアトリエに迫りつつある極寒の季節の恐怖、木彫科の所有する材木に椎茸を殖菌し一夜にして椎茸のほだ木の山をつくあげた犯人像のプロファイリングなどをとりとめなく語り合っていたその時。
 BGMがわりにつけっぱなしにしていたテレビの画面に高虎の目線は集中した。
 そこに映し出されているのは聞き覚えのある音楽に合わせてリズミカルに腰をふる女性の下半身の群れ。

 そう、毎度おなじみ流浪の番組・タモリ倶楽部の時間が到来していたのである。

 高虎はこの番組が好きだった。
 むしろ大好きだった。
 まだ中学校に入ったばかりの頃、偶然初めてこの映像を目の当たりにした高虎少年はひどく混乱した。
 内容の緩さに反してこのセクシャルなオープニングに一体のなんの意図が隠されているというのか。
 しかもそこにいるタモリは昼間のタモリとはちょっと違った。
 サングラスこそ変わらないが、スーツではなくかなりラフな私服であること、周りにいるのがにぎやかな芸人達ではないこと、そして時間に追われる事のない番組進行が彼をほんの少しだけ自由に見せていて、高虎はそこに本物の大人の姿を垣間みた気がした。
 気がつけば家族が寝静まった金曜日の深夜、時間を見計らってこっそり自室を抜け出し、家で唯一テレビのあるリビングで最小限の音量でとりとめのないうんちくを語るタモリとの逢瀬が高虎の日課になっていた。
 永遠に続くかと思われた蜜月。それにも危機の訪れた事もある。
 ある時、いつものように胸をときめかせながらテレビを付けた高虎は我が目を疑った。
 オープニングが生身の女性からフルCGのそれへと、なんの予告も無く変更されていたのである。
 それは高虎にとってテロにも等しい行為であった。
 尊敬するタモリからの絶縁宣言にさえ思えた。
 制作サイドにどんな事情があったのか、どの方面からどんな圧力がかかったのか高虎少年には知る術も無い。
 高虎はひたすらこの事実のみを悲しんだ。
 匿名ではあったがテレビ局宛に嘆願書にも似た手紙を書いたりもした。
 それが果たしてどれだけの効力を発揮したのか、実のところ高虎自身にもわからない。
 ほどなくして一部CGを取り入れながらも、実写の尻映像に戻ったとき、高虎はテレビの前で声も無く涙を流しながらこの帰還を祝ったのだった。

 

 

 

 ...というような話を訥々と語る高虎に、最初のうちこそ適当に相づちをうっていた直政であるが、わりとすぐにどうでもよくなり興味を失うと同時に急激な眠気に襲われる。
 静かになった直政に、彼が自分の話に興味をもって聞き入っているのだと誤解した高虎はここからが俺のターンとばかりに自らの性癖に話題をシフトする。
 女といえばみな胸ばかりを注視しがちであるが、尻の魅力についてはもっと語りあう余地を残しているということ。
 尻の魅力は肉感に非ずその形状の絶妙なるバランスにあり、その点において自分とタモさんの意見は一致していること。
 世間的にはマニアックとも言える高虎の力説について、半分睡眠に入った直政の感想はこの一言で集約される。

 うるさい、と。

 しかし流石にここは高虎の家。
 無下に、眠いから黙れと本音を言えるほど、直政とて厚顔には育っていない。

「あー...ていうか、俺、そういうはあんまり。」

 せめてもの気遣いに、もはや呂律のまわらぬ口で直政は高虎の話になおざりな意見を述べた。

「じっさい、いろいろとめんどうだろ、おんな..って。」
 
 語尾の方は寝息に紛れていたが、高虎の耳はそれを聞き逃さなかった。

 

 井伊直政は女が苦手=男好き。

 

 そんな図式を脳内に描いて、藤堂高虎の恋は勝手に一歩前進を刻む。

 




  

  

 
   

     


なんのオチもない