SketchBook:7

  

 

 兼続と慶次のことを聞いてから時々考える。
 愛してなくても身体を繋げる事は出来る。たとえば、兼続と慶次みたいに。
 愛していても身体を繋げる事は出来ない。たとえば、俺と左近みたいに。
 俺は左近と繋がりたい。
 俺を愛して欲しい。
 そのためならなんだってする。
 他の誰にどんなことをされても言われても、左近だけが俺のことをわかってくれればそれでいい。
 左近ならきっと俺を愛してくれるはずなんだ。

  

 

 その日も帰りは明け方で、薄暗い廊下のドアの前に誰か踞っているそれが何だろうと思ったら幸村だった。

『三成さん、もう止めてください。
 兼続さんから聞きました。
 毎日ひどいかっこうで朝帰りしてるって。
 学校にも来ていませんよね。
 どんな人とお付き合いしようが構いませんが、このままでいいはずがありません。
 三成さんだってやりたいことがあって大学に入ったんでしょう?
 もっと自分を大切に...三成さん、聞いているんですか?三成さん--。』

 強く肩を掴まれて揺さぶられているうちに、幸村にあの男たちの姿が重なった。
 俺が抵抗しないのをいいことに、好き勝手に扱う奴ら。
 一方的に自分の妄想ばかり押し付けて、俺には心なんてないみたいに思い込んでいる奴ら。

『離せ!』

 俺は自分でも驚くほど大きな声をあげて幸村の腕を振り払っていた。

『俺のことなんて何も知らないくせに、勝手ばかり言うな!!』

 勢いで突き飛ばされた幸村は、尻餅をついたまま呆然としていた。

『でも、それでも、私は三成さんが--。』

 幸村は呻くように何か喋ろうとしていたが、最後の方はぐすぐずと鼻をすする音でよく聞きとれなかった。
 変な奴。
 なんでこいつは俺の名前を呼びながら泣いているんだろう。
 理由の分からない他人の涙ほど滑稽で鬱陶しいものはない。

 

 

 

 夏休みに入ると、左近にはしばらく会えなくなる。
 その前にいくらか溜まった小遣いで買ったツナギを渡して、それからついでに携帯の番号を教えてもらおうと思って研究室に行く。
 構内に人影の少なくなった時間帯を見計らって訪ねると、左近はカンバスの前で難しい顔をして椅子に座り込んでいた。

『左近。今、すこしいいだろうか。』

 声をかけると、やっと俺に気づいていつもの穏やかな笑顔をこちらに向ける。

『石田、三成さん..?
 最近姿をみせないから研究室では心配していたんですよ。
 そうだ、休暇中の課題と休んでいる間の授業のことで渡したいプリントが山ほど---。』

 左近が俺の事を心配していた。
 そのことが胸の奥にじんわりと熱を熾す。
 他人と居てこんな良い気分になったのは久しぶりだ。

『これは?』

 左近がさっきまで向かっていたカンバス。
 それは地塗りがされただけで、一本の線も引かれていない。
 机の上のレターケースからプリントの束を取り出す後ろ姿に問いかけると、左近の動きが一瞬止まった。

『なかなか進まなくてね、困っているんですよ。』

 振り向いた左近の顔は、そういえばこの前あった時より少し窶れているようだった。
 この研究室だってはじめて入った時にはよく整理されてこざっぱりとしていたのに、今は床一面に資料だの描き掛けのエスキースが散らばっている。

『俺が描いてやろうか。』

 床に落ちていた一枚を拾い上げ、眺めていたらそんな言葉が自然と口をついて出た。
 だってこれはどうも巧くない。
 線はどこか野暮ったいし色もバラバラで画面にまとまりがない。
 何がしたいんだか、これではまったくわからない。
 左近自身はとても良い男だと思うが、この学校でいつまでも助手の身分に甘んじている理由がこれで分かった気がする。
 左近は俺の提案にすぐには返答できずに居た。

『俺がどれだけのものを描けるか、試験の時に見ているはずだ。
 俺の絵は左近が描きたいものととてもよく似ていると思うんだ。』

 それはほとんど事実だった。
 俺と左近の絵はとてもよく似ている。
 ただ、俺の方が左近の目指すものの遥か延長線上に在る、その一点を除いては。
 顎に手をやり長く逡巡した末に、左近は出したばかりのプリントの束をシュレッダーにかけ、代わりに机の引き出しからカギの束を取り出すとその中のひとつを俺の手に握らせた。

『明日もこの時間に、人目につかないようにいらっしゃい。』

 銀色に鈍く光るそれは左近の研究室の合鍵だった。

 

 


とてつもなく他人に鈍感な殿