伏見屋敷の左近の執務室からは庭がよく見渡せる。
 その真ん中、ちょうど部屋の正面に桜の古木が立っていた。
 それはもともとこの地にあったもので、屋敷を建てようとなった時にこれほどの大木を切り倒すのも惜しいという事になり、そのまま残されたものだった。
 左近の主人は太閤殿下の花見にご相伴だとかで今朝方から屋敷を空けていて、2、3日は戻らない。
 日頃は主人の子守りで思うように進まない書き物をこの隙に片付けてしまおうと、留守番も兼ねて左近はこの屋敷に宿直していた。
 今日の目安と決めていた仕事を終えてみれば既に手元は暗く、いつの間にか燭台に火が入れられている。
 そういえば障子越しに小姓が何度か夕餉をお持ちしましょうかと声をかけていたっけ。ついつい目の前の書に気を取られて曖昧な返事を繰り返していたからさては放っておかれたか。
 一日中机に齧りついて身体を動かしていないせいで腹も空かず、さりとてこのままでは寝付けずに左近は酒でも用意させようと障子を開き、ついでに庭に目をやった。
 空に浮かぶ月は満月に少し足りない。
 いびつな円を描くそのどこか心もとない光に淡く照らし出され、桜の大木がしなやかに花のついた枝を天に向かって広げていた。
 確か2、3日前にはひとつかふたつ花が咲いたなと思ったが、今は月に共するかのように蕾みは五部咲き。遠慮がちに綻びかけた花弁がなんともいじらしく、人に例えるならば生に怯える思春期のようだ。
 桜の花は人の心を狂わせるという。左近は花に心を奪われるようなロマンチストでは無いけれど誰だってこの幻想めいた光景には見とれてしまう。
 足下を見れば酒の膳。声をかける前に、左近の酒好きを知っている小姓が気を効かせたのだろう。
 今夜は桜を肴に独り酒か。
 これで美しい主人が傍らにおればもう文句の付けようも無いのだが、そしたらきっと主人のことばかりを見て桜も酒もどうでもよくなってしまう。
 たまには独りで楽しむ酒も良いものだと桜に言われた気になって、左近は障子を開け放したままで杯に手をかけた。

 

 

 

 

 二本添えられた銚子の一つと半分までを空にして、追加を呼ぼうとした左近の目に何やら庭で動く影が見えた。
 この時分に曲者か、それにしては影は小さく白く、桜の木の下をふわふわとさまよっている。
 これくらいの酒で目に来たとはいつの間にか自分も年を取ったものだ。それとも狐狸の類いの悪戯か。
 覚束ない目元を擦ってよくよく目を凝らすとどうやらそれは少年の姿にまとまりを見せる。
 

「おい、お前さん。」
 

 左近は少年の影に声をかけた。
 新入りの小姓が迷い出たのだろうか、それにしてはまとっている着物は粗末なもので袴の丈だって短すぎて身に合っていない。
 

「ここはどこだ?」
 

 きょろきょろと辺りを見回しながらゆっくりと自分に向けられた少年の顔に左近ははっと息を飲んだ。
 

「お前さん、名前は?」
 

「佐吉、だ。」
 

 彼の顔は、左近が思い慕う主人のそれから冷たさを差し引いて今は皮の下に隠してしまった無垢を表立たせた、単純に言ってしまえば幼い頃の彼が持っていたであろうそのものだったのだから。

 

 

 

 

 菓子でもやろう、と言ったら少年は一瞬喜色を露にして、けれどそれをすぐに彼なりのプライドで包み込み、極めて平静を装って座敷に上がって来た。
 差し出した金平糖を不思議そうに眺めてから真珠のような歯を立てる彼を横目で見ながら左近は考えた。
 主人には妻もいなければ当然子もない。
 この年頃の親類がいるとも聞いた事はない。
 まさか隠し子、とも思い及んであの潔癖な主人にそれは無いと自らで打ち消す。
 しかし、見れば見るほど少年の顔立ちや、顔立ちだけでなく薦められるまでは意識して見ようともしなかったくせに、好きなだけ食べろと言われればそれが当然のように懐紙の上の菓子に次々と手を伸ばすそんな意地の張り方が彼の人に瓜二つ、どころかそのものなのだ。
 砂糖のくずをぽろぽろとこぼしながら口一杯に菓子を頬張る姿だけは年相応で、その様が愛らしく、ふっ、と左近は吹き出した。
 その笑いに嘲笑の意味は欠片も無かったのだけれど、少年は自分の浅ましい態度を見とがめられたと感じたのか手を止めてしまった。
 

「なんだ、もういいのかい。」
 

 金平糖が飽きたのなら今度は団子でも用意しておくよ、と続けた左近の言葉に一瞬瞳を揺らめかせて、けれどそのまま少年は俯いてしまった。
 

「寺に入ってからは甘い物を禁じられていた。」
 

 だから行儀もわきまえずに夢中で食べてしまった、と彼はそれを恥じているらしい。
 

「子供は遠慮なんてするな。」
 

 汚れた口の周りを手ぬぐいを押し付けて拭ってやると、少年の身体はびくりと強ばるがやがてされるがままになる。
 

「実はな、俺は」
 

 母上の作った団子が大好きなんだ、と重大な秘密事を漏らすかのように告げた彼の顔ははにかんだ微笑みを浮かべていた。
 

「それにしてもおかしいな。俺は寺で寝ていて、厠に立ったところだったのに。」
 

 部屋に戻ろうとして、庭の桜があまり奇麗で眺めていたらいつの間にかここに来ていたのだと彼は首を傾げる。
 

「これは夢なのかな。こんなに美味しいもの食べられるなんて夢でも良いな。」
 

 そう言うとまたひとつ、と白い指が星形の菓子をつまむ。
 

「お前さんは寺の子かい?」
 

 左近の問いに彼がぽつりぽつりと答えるところには、彼は近江の土豪の生まれで最近寺に入ったばかりらしい。
 寺は何かと窮屈だ、と彼は言った。ただ、学問ができるのはいい。
 武門の生まれとはいえ家では皆が生きるのに精一杯でその暮らしは農民のものと変わらない。戦の無い時には稲を植え畑を耕す。
 それでも働きの無い子供を養う事が出来なくて、次男である自分は寺に預けられた。
 そこまで聞いて左近はいつか主人の言っていたことを思い出す。主人の家も決して豊かではなくて、幼い頃に寺に預けられそこで少年時代を過ごしたのだと。この乱世ではよくあることとはいえ、少年の身の上は主人のそれと驚くほど重なった。ここまでくると左近の中に生まれていたひとつの考えが現実のものとして浮かび上がってくる。
 目の前の少年は、主人の少年時代の姿なのではないか。
 そんな左近の思考をよそに少年は続けた。
 自分は父母を恨んでいない。寺にいれば読み書きも習えるし、家では目にする事もなかった唐渡りの書物だっていつかは読ませてもらえるかもしれない。
 けれど。
 

「坊主どもの、俺を見る目が嫌なんだ。」
 

 男ばかりの寺だ。この年頃の、しかも彼のように見目麗しい少年がどのような役割を担わされるのか、左近にはその視線の意味が容易に察しがついた。
 彼自身にはまだその手が及んでいないにしても遅かれ早かれいずれは彼も。
 

「お前は喰わないのか。」
 

 空になって転がる銚子を見て少年が言った。
 

「坊主どもが般若湯といって大事に隠して呑んでる。
 それはそんなに美味いものなのか?」
 

「少し呑んでみるかい。」
 

 なみなみと満たした杯を手渡すと少年は興味津々に香りを嗅ぎ、左近の見ている前で一気にあおってしまった。
 

「ちょっ、おいっ!」
 

「っぐ..げぇ!!」
 

 それほど強くない酒だ。それでも何も知らない子供には刺激が強すぎて、少年はごほごほと咳き込む。彼の中では美味いもの=甘いもの、くらいの認識でいたのだろう。想像外の味と風味に口の中から喉から食道から、それはもう焼け付くようだ。
 

「なんだこれっ、辛いぞ!こんなもの、ちっとも美味くない!」
 

 小さな背を丸めて目尻に涙まで浮かべて。

「それが大人の味ってね、子供にはまだ早すぎたか。」
 

 それを擦ってやりながら左近は苦笑を漏らした。
 

「お、俺は子供ではないわ!見てろ!!」
 

 子供扱いされた事が琴線に触り、勢いに任せて少年は銚子をつかみあげると左近が止めに入る間もなく底に残っていたものを飲み干してしまう。
 

「どうだ、こんな、もの、おれは..へい..き..」
 

 言葉は最後まで紡がれる事無く、ばたん、と盛大な音を立てて少年の身体は畳に沈んだ。

 

 

 

 

「き..もち..わるい..あたまが..ぐらぐら..す..る」
 

 濡らした手ぬぐいを額に当ててやると、少年は薄め目を開いた。ぼんやりとした視点は定まらず天井を見つめている。
 主人が酒に弱いのは知っていたけれど、余計な意地も手伝ってこれでは後々苦労するわけだと左近は一人で勝手に得心した。
 

「水でも持ってくるよ。」

 
 腰を上げようとした左近の着物の裾を少年の手が掴んだ。
 

「ここに..いてくれ。」
 

 吐息のような声で訴えられて、左近がそれを振り払えるはずも無い。
 こんな甘え方ばかりは無意識に上手くて、それにどれだけ情をかき立てられるか。
 

「苦しいだろ。少し楽にするぜ。」
 

 袴の腰紐を緩めて抜き去り、粗末な小袖の襟をはだけると胸と足とが露になる。
 顔は朱に染まっているくせに身体は白磁の艶を保ったままで、左近は吸い寄せられるように平たい胸板に触れた。
 しっとりと吸い付くような皮膚の手触りと、その下に閉じ込めた生気の弾力を楽しみながらそこを手のひらで撫で擦る。
 

「ぅふっ..。」
 

 意識がはっきりとしてないのか、とろんとした瞳を空に漂わせたまま小さな身体は左近のなすがままに任せていた。
 初めは軽く上下させるだけだったのが少年の吐く熱い吐息-それは快楽とは無関係の酒のせいなのだけれど-に煽られて左近の手は次第に大胆に動き始めた。
 小袖の帯を押しのけ、着物は袖を残すだけとなると流石に少年の身体が夜気に震える。
 ひとつの染みも無い肌の上に添えられた二つの薄紅。
 杯に落ちた花弁を啜るように左近はそこに口づけた。 
 

「大人のくせに赤ん坊みたいだな..。」
 

 ほとんど周りの皮膚と変わらない感触のそこを舌先で嬲っていると、少年はくすくすと笑い声を立てて身をよじらせる。
 

「ふふっ..くすぐったいよ。」
 

 彼の反応も当たり前のこと。もともとそこは男が快楽を得られる器官ではないはずだ。
 今の主人だって、時間をかけて慣らし込んでやっと感じさせてやれるようになったのだから、幼い彼ならば左近の行為を滑稽に思うだけだろう。
 それを嫌がっていないのはただ酔いのせいか。
 彼の嫌う坊主達がしようとしている事と、今、自分のしている事の間には何の違いも無いのだと左近は知っている。
 それでもこの身体が他人の手に堕ちる前にと欲してしまう。急いてしまう。
 やっと粒の感じられるようになった乳首に歯を立てると、ひん、と鳴いて若い身体が跳ね上がる。

「あ..なに..?」
 

 ここにきてようやく男の行動が介護の範囲を超えている事に気付き始めた瞳が不安げに見下ろしてくるのを頭上に感じながら、左近は口戯を止めようとはしなかった。
 ぷっちりと健気に立上がった胸の飾りから離れ、身体の真ん中を辿って腹の小さな窪みに舌を差し入れる。
 

「ひゃぅ..んっ。」
 

 尖らせた舌先で強めにぐりぐりとえぐってやると、くすぐったさと仄かな痛みで彼はしなやかな足をばたつかせ始めた。
 

「こんなっ、おかしいっ..やめっ、やめてっ。」
 

 その声も潤んでいるのはもう酔いのせいだけだとは思いたくない。
 若木のような足を片手で簡単に押さえつけると左近は彼の腰を覆うわずかな布を取り去った。
 少年もそこまでされるとは思ってもいなかったのだろう。または、これから何をされるのか思いもつかないのかもしれない。ただ驚きと恐怖に身を縮こまらせている。
 左近は体勢を入れ替え、少年の足の間に身体を置いた。
 屈強な大人の身体を差し挟まれたせいで少年の足は大きく左右に割り開かれ、その間に無毛のまま揺れる肉色の若芽を左近は口に含んだ。
 

「嫌だっ、食べないで!」
 

 怯えた声でそう叫ばれて、思わず左近は笑ってしまった。と、同時にこの少年が全くの無垢である事をつくづく思い知る。
 少しでも怯えさせないように、最初であるはずのこの行為が彼にとって忌まわしい思い出にならないように。
 ゆっくりと全体を舌で包み、舐め上げてやる。
 なだめるような愛撫を繰り返すうちに、左近の長い髪を握りしめていた少年の手から次第に力が抜けていくのを感じる。
 

「んっ..ぁ。」
 

「まだ、“嫌”か?」
 

 問かけながら見上げると、少年は緩く首を横に振った。
 

「でも..なんか..変..だ。」
 

 短く息をつきながら少年は答えた。その目元は紅を引いたように赤く染まり、いつのまにかこぼれ落ちた涙が頬を濡らしている。
 本人の自覚に無い、子供らしからぬ艶をたたえたその表情をもっと見たくて雫を指先で拭い、額にかかった髪を払いのけてやると左近は幼い性器に愛撫を再開した。
 今度は先程より少し、強く。
 軽く歯を立て、吸い上げると頭の横に添えられていた足がぴんと釣った。
 

「ぅああっ、もれっ、漏れる!放して!!」
 

 下腹の奥から突き上げてくる鋭い感覚。
 けれどそれが何物であるのか彼にはまだ分からない。
 排泄を我慢した末に許された時の感覚に少し似ているけれどもっと大きくて力強い波。
 男の咥内に隠されてしまって目にする事は叶わないけれど、これ以上ないくらい性器が張り詰めているのを感じる。このまま破裂してしまうのではないか。これから自分の身に何が起こるのか。
 

「ぁあんっ..やっ、いやぁ!!」
 

 恐怖と、刺激の頂点を求める焦燥感に彼は意味の無い言葉を泣き叫んだ。
 そしてそれは唐突に訪れた。
 男の唇が小さな先端を割り、紅玉色のむき出しの粘膜に触れたとき、彼は声を立てる間もなく初めての絶頂を味わったのだった。
 
 

 

 

  

 次第に息の整い始めた身体に着物を着せかけてやりながら、左近の胸の内は後悔で溢れ返っていた。
 汗が引いて冷たい肩は、落ち着いて見ればなんて細く華奢だろう。
 酒に酔っていたのは自分の方だ。いいや、酔いのせいとごまかすのは卑怯だ。確かに自分はこの花の美しさに魅せられて、蕾みを開かせようとしたのだから。
 けれど、この幼い身体に無理を強いてしまったのではないか。
 心に傷を負わせてしまったのではないか。
 そればかりが頭をよぎって上手く帯が結べない。
 鬼の左近ともあろう者がなんと情け無い。未経験の身体を開かせたのはこれが初めてという訳でもないのに、たった一度の交合を、それも自分は一度も身体的な快楽を味わってはいないのに、これほど気に病む日が来ようとは。
 動きを止めたままの左近をじれったく感じたのか、少年はその手から帯を奪い取り、さっさと自分で着付け始めた。
 そして何事も無かったかのように、左近に背を向けたまますたすたと縁側を降りて庭に出て行ってしまった。
 

「帰るの..か?」
 

 どこに帰るというのだろう。左近は自分の問いを滑稽に思った。
 おそらく少年にだって分からない。
 けれど彼が今、目の前から消えようとしている事だけは直感できる。
 桜の木の下に立った少年が振り返った。
 少し恥ずかしげに俯いて、戸惑ったように笑うその顔は頭上で綻ぶ薄紅のちいさな花のようで儚く、可憐で。
 

「また、お前に会えるかな。」
 

 言葉だけを残して、桜の下に掻き消えた彼の姿を左近は幻のように見つめ続けた。

 

 

 

  

   

 

  

  

   

 

  


 

勢いに任せてやっちゃってからビビる左近
桜が散る前にアップできて良かったです