身体を繋げたがるは不安だからにちがいない。
 左近はできるだけ三成の側に居ようと務めた。
 無理もないことだ。
 なんのあてもなく、あんな岩屋に独り潜んで。どれだけ心細い日々を送った事だろう。 心に負ったその傷ゆえに彼は確かな人のぬくもりを求めているのだと。
 気の済むまで傍らに寄り添って、手を握って、背を擦っていてやろう。
 元々が強くはない身体に蓄積された疲労を癒せば心もまた以前の強さを取り戻すはず。
 そんな左近の思いとは裏腹に三成は常に獣のような交わりを要求してくる。
 意識のあるうちには常に左近を求め、抱き合い、枯れ果てて眠りこけ、目を覚ませばまた抱き合う。
 繰り返される淫らな愚行。そしてそれを拒めない自分。
 これでは身体を養うどころか逆に弱らせてしまうと左近は自ら主人との間に距離を置かざるを得なかった。

 

 

 

 

 日に二度、食事の膳を運ぶ傍らで左近は主人の様子を伺った。
 以前は手を伸ばせばすぐに得られた快楽が制限されて、その分三成の要求も一度一度が激しいものになっていく。
 左近の姿を認めればせっかく彼の持ち運んだ膳に手をつける事も無く部屋の端へと押しやり、その身体にのしかかってくる。
 まずは少しでもいいから食事を口にしてくれと懇願する左近の唇に舌を差し入れて言葉を封じ、あとはなし崩しに肉欲を貪る。

 
「あんまりうごかないから、腹が減らないんだ。」

 
 彼はそう言うけれど、人の身には限度というものがある。
 左近が知る限りここに落ち延びて来てから三成はほとんど何も口にしてはいなかった。
 にも関わらず、不思議と彼の肉体に衰えは見られない。
 むしろその逆に陽を遠ざけた肌は抜けるように白く、しかもそれは深い海の底の貝の肉で眠る真珠のように柔らかに照り輝き、触れればどこもかしこもがしっとりと吸い付いてくる。
 このような肌を持つ人間を左近は知らない。
 そして何より左近を不安にさせたのは、絶えず獲物を付けねらう獣のようにぎらぎらと不穏に輝きを増す彼の瞳だった。
 こんな目をかつての主人はしていただろうか。
 気に喰わない相手に対してはすぐに感情を表に出す癖を咎めたことはある。そんな時だって、彼の瞳の奥に宿る清廉な炎を左近は知っていた。
 それは決してこのような欲にまみれたものではなかったはずだったのに。

 

 

 

 

 思わず閉じた瞼を、高い鼻梁を、乾いた頬を、舐め回すように口づけていた薄い唇は気がつけばいつの間にかその身体を挟み込んだ足の間、まだ芯の入らない性器に吸い付いていた。
 頬の内側の温い粘膜に先端を擦りつけられると、左近の固く引き結ばれた唇からはたまらずにうめき声が漏れる。
 ともすれば苦痛に耐えるようなその表情に目を細め、十分に力を持った性器を口から吐き出すと、三成は自分で育てた堅い肉を潤んだ瞳でうっとりと見つめるのだ。
 たっぷりと唾液にまみれ、ぬめぬめと濡れ光るそれをいかにも大事そうに、愛おしげに頬を寄せて。

 
「殿..少しはご自重ください。」

 
 熱い吐息まじりの左近の言葉を三成は無視した。

 
「このようなことばかりに溺れていては、お身体が。」

 
 今までに何度も繰り返してきたそれに、何の効力も無いと知っていても左近は言わずにはいられない。

 
「五月蝿い。俺に逆らうか。」

 
 どん、と意外に強い力に胸を突き飛ばされて仰向けに寝転んだ左近の上に華奢な身体が乗り上げてくる。
 この体勢で動けば固い床の上で、膝を擦りむいてしまわないか。 
 主人の繊細な肌を気遣った左近が押しとどめようとするとそれを拒否と受け取ったのか、三成は首を横に振り、余計に性急に腰を落とし始めた。

 
「おまえは..おとなしく俺を抱いていれば良いのだ。」

 
 慣らした後も無いのにそこは潤いをたたえ、左近の侵入を迎える。

 
「ひゃっ..はっ。」

 
 歓喜のままに声を漏らし、欲に惚けて。
 たまらなく卑猥に誘うはずの光景が、左近にとっては苦痛でしかなかった。
 自分の記憶の中の主人とは遠くかけ離れた痴態を見ていたくはなくて、左近はぐっと瞼を閉じ、細腰を掴んで揺さぶった。
 一刻も早くこの行為に終わりを告げたい。
 力任せの激しさで突き上げ、内壁を突き破らんばかりにかき回す。

 
「アァっ!そうだっ、それで良いッ。あ、くっ..!」

 
 暴力に近いほどの愛撫に、三成は背をぐんと仰け反らして悲鳴をあげつづけた。

 

 

 

 

 幾度も三成の中に精を放ってやっても、彼は左近を求めることを止めなかった。
 二人が繋がる箇所からはぐちゃぐちゃと卑猥な水音が途切れることは無く、三成のまき散らした精液で左近の腹の上には白い液溜まりができていて。
 自らの手で絶えず擦り立てられ続けている三成の性器は射精もできないまま腫れ上がり、酷使された喉は潰れてひゅうひゅうと空気の通る音しかだせないのに。
 もはや互いを思い合う情は微塵も無い。
 獣とてもっとましな交わりを結ぶのではないかと左近は思った。
 自棄になった左近の責めに、三成がやっと失神するまで彼の唇から左近の名が呼ばれる事は無かった。

 

 

 

 
 
 夕刻、再び膳を運んだ左近が部屋に足を踏み入れた時、三成は朝に抱いた姿のまま横たわっていた。
 ほとんど裸の肢体を床に投げ出し、わずかに身体にまとわりついた着物の下で、その手は下肢をまさぐっている。

 
「お前が..遅いから...。」

 
 待ちきれなかった。
 熱に浮かされた瞳で告げられて、左近の身の内にわき起こったのは本来主人に対して抱くはずの無い、抱くべきもない思い。
 怒り。侮蔑。そして、絶望。
 たった数刻前にあれほど乱れておいて、“これ”は何だ、と左近は思う。
 “これ”が本当に自分が、数多の兵達が命を賭してまで守ろうとした主君の姿か。
 それまで耐えていた疲労が感情に拍車をかける。

--兵達が総崩れに倒れて行くのを、盟友達が自分の為に命を投げ出すのを、あれだけの敗戦を目の当たりにして一時的に正気を失っている。

--厳しすぎる現実から逃れようとして彼もまたもがいている、これはそのはけ口。

--弱った身体を癒せば、病んだ心を自分が支えれば、もとの凛とした姿を取り戻すはず。

 そう考える事で左近は繋ごうとしていたわずかな希望が瓦解していく。
 足音も荒く近付いて左近は相も変わらず自慰を続ける三成の手をそこからはぎ取った。
 快楽の元を取り上げられて三成は嫌々と頭を振る。

 
「なんで..さこん。」

 
 その子供じみた動作に左近の胸はますます掻きむしられた。
 小首をかしげ、見つめ上げてくる三成の目には左近の悲痛な面持ちなどまるで目に入っていないようで。
 さらに甘えた動作で三成は取られた腕を左近に絡め、その頭をかき寄せた。

 
「ずっと、こうしていればいい。
 ここで。ずっとふたりで。
 俺はもう、どこへも行きたくないのだ。」

 
 何かがぷつりと切れる音がして、左近は無意識に三成の身体を跳ね飛ばしていた。
 羽のように軽い身体はいとも簡単に壁に叩き付けられ、置いたままになっていた膳が辺りに飛び散る。
 身動きしない三成を残して転げるように蔵を出ようとする左近を低い声が追った。

 
「俺から逃げるのか。島左近。」

 
 振り返った先、ざんばらに落ちた髪の間からぎろりと覗いた三成の瞳は銀に煌めいて光っていた。

 

 

 

 

 それからはもう、左近は蔵を尋ねなかった。
 食事を差し入れるのも、信頼の置ける小僧に任せきりにした。
 差し入れた食事が相変わらずほとんど手の付けた形跡のないまま、新しいものと取り替えられるのを見ながら左近の中にはひとつの考えが浮かんでいた。

 あの目に見つめられて正気で居られる自信が無い。
 あれは確かに獣の目だ。どん欲に肉を喰らい、血を啜る獣の。
 行けば、喰われる。

 一度取り憑いた妄執は恐怖を糧に育つ。

 そういえば。
 三成の潜んでいた岩屋に散らばっていた骨。狐にしては大きすぎやしなかったか。
 肉を喰らったのだとしたら、毛皮はどこへ。
 逃亡の果てに穴蔵に転がり込んだ三成に狐などというすばしこい生き物を捕らえる体力など残されていたのだろうか。
 あれは、何だったのか。

 左近が執拗に考えれば考えるほど、蔵の中に息づく“あれ”がかつての主人と同じものだとは思い難くなっていった。
 そうだ、本物の殿ならばあのように弱音を吐くはずが無い。
 天下太平の世を築くと誓った自らの夢にとどめを刺すような、あんなことを言うはずが無い。
 食も摂らずに快楽だけを貪って生きている事自体、“あれ”が人ではない証拠ではないのか。
 追いつめられた思いは心に根付く弱さを糧に、人を狂わす。
 それは時として肉体を凌駕することもある。
 心を挫かれた左近にそのようなことは思いも及ばなかったのだ。

 

 

 

 

“あれ”は化け物だ。
 本物の殿はあの化け物に喰われたのだ。
 あいつはこともあろうに自ら喰らった殿の形をして、今度は自分を喰らおうとしている。

 そう結論づけた左近にとって“あれ”はまぎれも無い本物の化け物になった。
 憎しみは止めどなく沸いてくる。
“あれ”を最愛の人と信じて受入れた自らの身を引き裂いてしまいたいほどに。

 

 

 

 

 住職が法事で出かけ、寺に誰もいなくなった夜。
 左近は蔵の周りを薪で囲み、油を撒いた。
 作業は単純だったけれど、いくら小さいとはいえ堅牢な蔵だ。一刻ばかりもかかって汗だくになりながら左近は独りでやり遂げた。
 彼を突き動かしていたのは盲信から生まれた得体の無い憎悪。
 淡く繋いだ希望はとうに消えていた。
 最初から未来など無かったのだ。
 関ヶ原の地で潰えていたのだ。
 それに気付かず奔走した自分のこっけいな姿。
 あの化け物は影でそんな自分を嘲っていたに違いない。
 燃えてしまえ。何もかもが灰に還れ。
 
 火を放つと乾いた薪はすぐにぱちぱちと音を立て始めた。
 本来の姿を取り戻した“それ”が火だるまになって飛び出てくるのをいまかいまかと左近は待っていた。そうして化けの皮が剥がれたところをこの手で斬り殺してやる。
 さあ正体を現せ、化け狐。
 このままでは焼け死ぬぞ。
 熱がじりじりと身を焦がす。
 構えた刃に炎が映されてまるで刀自体に火が灯ったようだった。
 蔵はますます勢いを得た炎と渦巻く煙とに覆われて行く。
 その時だった。
 けたたましい嗤い声が暗い天に向かって駆け登る焔の中から響き渡たり、人の影が業火の中で狂い踊っている。

 
「殿!!」

 
 思わずその名を呼んで刀を捨てて駆け寄ろうとする左近の前でがらがらと土壁が崩れ落ち、行く手は塞がれた。

 

 

 

 

 燃えるべきものが全て燃えつきて、全てが灰になるまで、どれくらいの時間がかかっただろう。
 一瞬の事のようにも思えたし、幾日もかかったようにも感じられた。
 化け物は姿を現さなかった。
 消えた焔に変わって、胸の奥を冷たいものが侵し始める。

 まだくすぶる焼け跡を左近は必死で探しまわった。
 せめて、証を。自分は間違っていなかったという証を。
 履いていた草蛙はとうに焼け、足の裏の皮膚が焼ける嫌な匂いがしたが気にならなかった。
 けれど指先を焦がして、灰の中からようやく見つけ出したのは半ば炭に成り果て、形を留めていない陣羽織。
 頭の内側にあの断末魔の嗤いが蘇る。
 それは深くこびりついて、いつまでもいつまでも左近を放そうとはしないのだった。

 

 

 

 

 

  

 

  


 

前回からどれだけ間が空いちゃったんだ、コレ
タイトルはもう思いつきませんでした
書き始めたとき、澁澤の菊燈台とか読んでいたが故の火事オチです
結局、殿がどっちだったのかはお好きな方で(どっちにしてもアレ)