心せよ 亡霊を装いて戯れなば、亡霊となるべし
〈カバラ戒律〉

 

 

 

 

 真白な腕がまるでそれだけで生命をもつように絡み付いてくるのを、左近は醒めた心持ちで受け入れていた。
 姿を確認したと思ったらすぐに床に押し倒されて、見上げた唇は端を釣り上げて笑みの形をとっている。
 その間からのぞく粒のそろった歯と、ちろちろと蠢く舌。
 欲望を隠そうともしない浅ましい主人の姿に、今日もこれからまた始まる狂宴を思うと自分からは答えてやる気にならなくて、しばらくは彼のしたいがままに身体をまさぐらせているとそれだけでは飽き足らなくなった彼のねっとりとした声色が自分の名を呼んだ。
 耳のすぐ側、鼓膜を直接振るわすように囁かれ続けては放っておくわけにもいかず、左近は意を決したように乱暴に自分の身の上に乗り上げた痩躯を反転させ組敷く。
 柔らかな緋色の髪が埃の積もる床に広がり、今度はこちらから口づけてやろうとしてそれをひと掴み乱暴に持ち上げて顔を引き起こすと頭皮を引かれる痛みにもかかわらず彼は声を立てて笑った。
 きんきんと金属のぶつかり合うような温度の無い声。
 誰の為でもなく、自分の為の笑いを笑い続けるそれを聞いているとまた酷い頭痛がしてきそうで、左近は主人の唇ごとその笑いを飲み込んだ。

 

 

 

 

 背丈の高い草をかき分けて、道のない山中を進む。地を這う木の根に幾度も足を取られ、鋭い葉が皮膚を無数の切り傷をつけたがそんなものは気にならない。
 早く、生き別れた主人の顔を見たい。
 その思いだけが疲れきった左近を突き動かしていた。
 先程の村人の話が罠でなければこの先の岩屋に三成はかくまわれている。
 関ヶ原の敗戦から数日。
 左近はこうして自分が生きていること自体が不思議なのだと思う。
 目に入る者を全てなぎ倒して、一瞬緩んだ包囲をかいくぐり、主人のいない馬を駆ってここまで逃れた。伊吹山のこの辺りの者達にはかつて三成が治めていた時分に随分と心をかけてやったことがある。それを当てにする三成とも思えないが、佐和山に逃れるにはここを通るのが一番易い。
 返答によっては斬り殺す覚悟で道行く農民に声をかけ、幸いにして左近は彼らの保護を受けている主人の居所を知る事が出来たのだ。
 目指した岩屋は小さなもので、追跡を恐れた農民達も数日分の食料と水とを運び込んでからは近付いていないという。
 この寂しい山奥で、1人、三成がどんな思いを抱いていたか。
 考えると左近は胸が引き裂かれそうになる。
 

「殿。」
 

 孤独に染まった彼を驚かさないように。不安に研ぎすまされた神経を刺激しないように。
 かつては閨で囁いてやった時のように、柔らかに包み込む声で左近は呼びかけた。
 すると確かに真っ暗な岩の中から何者かの動く気配がする。
 

「殿。ご安心なされ。左近です。」
 

 それが素穴に紛れ込んだ獣でなどでないように、あの美しい主人であるように。
 祈りにも似た気持ちで左近は再び呼びかけながら、穴蔵に足を踏み入れた。
 偉丈夫の左近では腰を屈めても頭を天井にかすめてしまうほどに岩屋は狭く、しかも湧き漏れる水のせいでじめじめと湿っている。
 

「殿..!」
 

 数歩進んだあたり、外の光の届かぬ穴蔵の中程、粗末なむしろの上に彼は踞っていた。
 背を岩壁に持たせかけて、抱いた細い膝に埋めた顔をゆっくりとあげて。
 

「..さ..こん?」
 

 その表情は辺りの闇にまぎれてしまったけれど、確かに声は主人のもの。
 闇に慣れ始めた目をこらして彼の身体に触れた時、左近は叫びだしたいほどの喜びに身を震わせた。
 生きている。
 生きた三成に再び出逢えた。
 この数日でいっそう肉の落ちた身体を無礼と知りつつも左近は抱き締めた。
 なんて冷たい。
 腕に伝わるはずの鼓動も弱っているためか感じ取れない。
 本当に生きているのか。
 

「さこん...やっと..あえた。」
 

 そんな杞憂は腕の中の笑みの前に消し飛んだ。
 三成は顔を近づけると自ら唇を重ねてくる。
 戦場の埃と煙にまみれたはずの肌はほのかに甘い香りを放ち、それを不思議と思う間もなく左近は久方ぶりの恋人との口づけを味わう。
 

「んっ..ふ。」
 

 一旦唇を離し、再び開かれて近付くその奥に鋭い犬歯が見えたのは錯覚か。
 自分から舌を差し入れ、左近の咥内を舐め回そうとする三成を左近は我に返って押しとどめる。
 

「なんだ?」
 

 頭を押さえられ、引きはがされた顔が不機嫌そうに曇る。
 

「お戯れはお止めください。今は何よりここから逃れる事が先決にございます。」
 

 左近とて、このままお互いの生を確かめたくないわけではなかった。
 目の前の身体を思うがままに暴いて、生きている事の喜びを分け合いたい。
 けれど今は一刻も早く安全な場所へ逃れねばならない。
 途中、三成の居場所を教えてくれたあの農民の気がいつ変わるとも限らない。そうすれば二人、一網打尽。せっかく拾ったこの命を無駄にはしたくない。
 そして何より、このような寂しい場所に一時でも長く三成を置いておきたくはなかった。
 

「参りましょう、殿。」
 

 三成の身体を抱上げて岩屋を後にしようとしたとき、左近はふと地面に散らばる白い物に目を留めた。
 

「あの骨は?」
 

 よくよく見れば奥には頭蓋らしき塊も転がって、ごく細い物から長さのある物までひとそろい。
 

「ああ。“狐”だ。腹が減ったので採って喰った。なかなかに美味だったぞ。」
 

 ことも無げに三成は微笑んで言う。 
 

「さあ、行こう。左近。もうこんなところは嫌だ。」

 刃物も持たないのに、どうやって狩ったのか。
 その骨をさらに凝視しようとする左近の袖を引いて、三成は彼の顔を自分に向けさせる。
 彼の瞳に余計な物は何一つ映したくない。
 自分だけを見て欲しい。
 そう言わんばかりに。

 

 

 

 

 馬上で三成の身体は左近の腕の中にすっぽりとくるまれていた。
 よほど独りで心細い思いをしたのだろう。
 おとなしく身を縮め、左近の襟を掴む手は力を入れすぎて色が無い。
 なんて可憐で愛おしい。
 戦場で指揮杖を振るう凛とした佇まいを側で見知っているだけに、離れていた時間が長かっただけに、左近にとっては今の主人の姿は庇護欲をかき立てて止まなかった。
 丸一日、駆け通しに駆けて、二人がたどり着いたのは立派な門構えの山寺だった。
 ここもかつて三成がこの地の領主であった頃にその恩恵を受けていたことがあり、温和な表情の住職はそのことを忘れてはいなかった。
 早速二人に熱い粥が振る舞われ、囲炉裏の火に人心地がついた時に話は今後のことに及ぶ。
 一刻も早く佐和山に戻り残った兵を集めたいという左近に住職は悲痛な面持ちで眉をひそめ、首を横に振る。
 曰く、佐和山の城は関ヶ原敗戦の後、東軍の追撃を受けて留守を預かった者達の奮戦も空しくその一族諸共に灰に帰した。
 

--まずは御身を癒されませ。
 

 出された粥に手も付けずに表情の無い人形のように座ったままの三成を気の毒そうに見遣って住職はそれきり口をつぐんでしまった。

 

 

 

 
 東軍の残党狩りを危惧した住職が三成のために用意したのは寺の裏庭にある古い土蔵だった。
 

--ご不自由でございましょうけれど。
 

 寺には檀家の農民達が時折訪れる。
 その中にはわずかな報償欲しさに三成の身を売り渡す者がいないとは言い切れない。
 故に三成の姿を彼らの前に晒すのは得策ではないとの提案に左近も同意した。
 岩屋を出てから三成は一言も言葉を発していない。目を開き、身を保っている事が精一杯なのだろう。
 一族と盟友達の末路を知って魂の抜けたような三成の様子に住職の言う通り、今はひとまず逃亡に疲れた身体を養うが大事、後の事はそれからと左近も思わざるを得なかった。

 

 

 

 

 燭台を借り、三成の手を引き、土蔵に足を踏み入れる。
 今は使われていない仏具やら朽ちかけた仏像やらが無造作に置かれたそこは黴臭く、決して心休まる雰囲気とは言い難かったが、空気の乾いている事と手足の伸ばせる分あの岩屋よりはましだった。
 簡単に物をどけ、質素な寝具を整えると三成の身体をそこに横たえる。
 逃亡の途中で軍備を投げ捨てた時でさえ、彼が手放さなかった陣羽織は大切にたたまれて枕元に置かれた。
 また再びこの羽織をまとって戦場に立つこと、それは二人の夢であるはずだから、その日が何時来ても良いようにと。
 

「今は何も考えずお休みくださいませ。」
 

 幼子をあやすように大きな手が三成の髪を撫でる。
 瞳を閉じた三成の呼吸が落ち着いて来たのを見届けて、その場を去ろうとしたその時。
 

「左近。」
 

 眠ったと思ったはずの三成が離れかけた左近の腕を掴んだ。
 

「殿?」
「眠れない。」 
 

 もう少し、側に居てくれと告げたその唇で噛み付くように口づけて。

 

 

 

 

 はあはあと息を荒げて、身体を掏り寄せてくる。
 左近の太腿にあたる三成の性器はもう固く尖っている。
 唾液を分け合うように咥内を貪り合いながら、三成は小袖を脱ぎ捨てた。
 露になった白い肌にはうっすらと骨が浮き上がっていて、左近はその背にそっと手を這わす。
 少しでも落ち着くようにと何度も背骨を撫でるけれど、それがもどかしいのか三成は抗議の視線を左近に送った。
 抱き合うにしたって、こんなに急いては負担を受けるのは三成の方なのに。
 求めるのは不安だから。
 欲するのは失ったから。
 自分にできることはそれが束の間のものでも彼を満たすこと。こんな交わりでそれが果たせるならと左近は彼の要求に答えようと本格的な愛撫を開始する。
 軟膏の類いは持ち合わせが無く、指を口にもっていくと三成はその意図を察してそれを唾液にまみれさせた。
 ぴちゃぴちゃと立てられる水音の合間からも荒い吐息が漏れて、性急に行為を望まれている事は知れたけれど、左近はあくまで急がなかった。
 十分に濡れそぼった指で待ち構えたように開かれた足の間、そのずっと奥に触れるとそれだけでふるりと立上がった性器が震える。
 自ら開かせ、教え込み、躾けたそこは柔らかに左近を飲み込む。
 中のむき出しの体温を指先に感じながら、彼の快楽のしこりを探す。
 

「あっ..そこっ。」
 

 反応のあった場所に強く摩擦を加えると三成の身体は歓喜に跳ね上がった。
 

「イイっ..さこん..イイよぅ。」
 

 うわ言のように呟きながら自らの手を性器に伸ばす。
 家臣の眼前に晒されている事を気にも止めず自慰を始めた三成を、どこか冷めた目で見ている自分に左近は気付いた。
 白く細長い指が色を増した男根に絡み付き、時に爪先で自身に微細な苦痛を与えて喜ぶ姿は確かに扇情的だ。粗相をしたかのように溢れて止まない愛液が左近の弄る後孔にまで漏れ伝って聞こえる淫音も。
 けれどこの悦楽に共に浸り切ってしまえない自分が居る。
 その証拠に左近の下半身は何の反応も示さない。
 常ならばもう、今は指でしか味わっていない襞の中に自身を埋め込んでいてもおかしくはないのに。
 ここまでに味わってきた辛酸を思えば仕方が無いか。快楽に身を委ねることで一時的な逃避を求める主人も、その痴態を目前にしてまで現実に引きずられている自分も。
 

「ね..もう..イく。イきそう..さこん。」
 

 熱に浮かされた瞳で見上げて来た、彼の涙の皮膜に映っているのは確かに左近の姿のはずなのに左近はそこに自分がいないような錯覚に陥った。彼が必要としているのは純粋な快楽、それだけで左近自身は必要ないのだと。
 いいや、それでも。
 

「ええ。どうぞ果てを。」
 

 促してから内部で遊ばせていた指を激しく抜き差しし腫れた急所を爪でひっかいてやる。
 三成の、自らを弄ぶ手が本能のままに獣じみた動きを見せ、同時に左近を銜え込んでいる内壁もきつく収縮した。 
 喉の奥から引きつった叫びを漏らして三成は達した。勢い良く飛び出した精液を左近と自分の身体に振りまきながら。

 

 

 

 

「落ち着かれましたか?もうお休みくださいませ、殿。」
 

 顔までも汚した白濁を舐めとりながらついばむような口づけを贈る。
 そうするのは行為の後の二人の半ば決め事。情交の終わりの儀式。そのはずなのに。

「まだだ。」

 荒かった呼吸が整った頃を見計らって、帯だけで留まっていた着物を直そうとした左近に噛み付くようにして三成は再び唇を寄せた。

「まだ、お前が満足していないだろう?」
「しかし、殿。お身体が。」

 思わず後ずさる左近を三成の舌が追ってくる。

「身体なんてどうでもいい。それよりお前が欲しいよ、左近。」

 彼らしからぬ直情的な要求の台詞。
 

 

 

 

 唇の端を釣り上げて淫蕩に歪んだ顔に戸惑いながらも、その時はまだ彼を美しいと思っていたのだけれど。

 

 

 

 

 

  

 

  


 

長くなったので分けました
タイトルは仮なのである日ひょっこり変わっているかも知れません