何もかもが終わって、それでもわたしたちは終わりにならなかった。
 別れていくにはお互いにあたまりにたくさんのものを背負いすぎていた。
 そして、二人とも、これ以上失いたくなかった。
 私たちが一緒に居る理由は、恋や愛、なんて甘いものではなく、つまり惰性や依存。そんなところだ。
  
  

 
 
 人から見れば私はあの人の妻ということになるのだろうし、実際にその役割も果たしている。
 初めてあの人とそういう事になった時はそれなりに胸をときめかせもした。
 けれど、褥に身を横たえてあの人が灯りを消して、いざ、という時。
 私は危うく叫び声をあげそうになった。
 歓びに、なんてものでは決して無い。

 
 見てしまったのだ。

 
 わたしに覆い被さろうとしているあの人の背中にいる、夥しい数の亡者の姿を。
 それはまるで地獄の釜の蓋が開いたかのような光景だった。
 戦場がひとつ、まるごとそこに現れたのかとさえ思った。
 彼等は等しく己の悲惨を訴え、後悔を隠さず、私とあの人と生き残った全ての人間への呪詛を口にする。
 その誰一人としてまともな身体を持つ者はいない。
 破れた武具を纏い、手足の無いのは当たり前、中には首を討たれているにも関わらず気道を晒した切り口からうめき声を漏らすのもいる。
 あまりの恐怖に気を失う事も出来ず真っ青になってガタガタと震える私を、あの人は愛おしげに抱きすくめる。

 

 怖がる事は無い。幸せになるんだ。
 散って行った、皆の為にも。

 

 ...幸せ..。
 全くどこまでもバカなひとだ。
 どうやらこの人は自分に取り憑いている彼等の気配も感じないらしい。
 当人が気付いていないではせっかく黄泉路を駆け戻ってきた亡者の努力も台無し。なんと哀れで滑稽なことだろう。
 あの戦で何人死んだのか、私にはわからない。
 それほどたくさんの人間がこの人の夢に殉じた。その結果がこの様では、確かに浮かばれない。

  
  

 
 
 人間とはどんな状況にも慣れる事ができるらしい。
 閨に無遠慮に現れる亡者たちを、私は幾日もしないうちに恐ろしいと思わなくなった。
 慣れて、よくよく彼等に目を凝らすとその中に私のよく知る人達の姿もあった。

 
 一人は父様。
 結局父様の首は上がらず仕舞いになっていたが、あの状況で生きているとは到底思えなかった。
 きっと馬蹄に踏みにじられ肉塊に帰したに違いない、というその予測は果たして当たっていた。
 これでは首も何も無かろう。久方ぶりに会った父様はちょっと口にはできない姿をしていて、それでもそれが父様だと分かったのは親子の絆というものだ。
 

 二人目はあの人のお友達。
 生前から病を得ていたのは知っていたが、死んでもそれは変わらない。むしろ進行は続いているようで、どこかしら身体の一部が腐れ落ちようとするのをいつも必死で押さえている。昔は奇麗な人だったのにこれでは死ぬのも楽ではない。
 

 最後は、これが一番やっかいなのだが、頭が石榴みたいに割れた女。
 顔が無くたってすぐに分かった。あの女だ。
 彼女がまだ生きていた頃、あの人に対してどんな想いを抱いていたか、まだ子供だったわたしも知っていた。だからどうしたって私の事が許せないのだろう。額に汗して腰を動かすあの人を実に愛おしそうに恨めしそうに見て、こちらをものすごい目で睨みつけてくるが、それだけのことだ。

 

 

 

 もはや何の力も持たない彼等にできることは何も無い。
 呪い殺すことはおろか、例えば何もないところで躓かせるとか、悪寒を走らせるとか、そんな些細な事さえ亡者は生者に手を出せない。
 ただ、わたしたちの側に居て自分の不幸を嘆き、訴え、そして監視している。

 わたしたちが決して幸せにならないように。

 

 

 

 やがて、わたしにも子が出来た。
 行為の当然の結果だ。
 あの人は無邪気にはしゃいでいるが、わたしは素直に喜べずにいる。
 馬鹿げた妄想なのかもしれないが、はたして、この子は、本当にわたしとあの人の間に出来た子なのだろうか。
 わたしたちの閨はいつだって決して二人きりではなかった。
 いつだって亡者たちが居た。
 彼等があれほどまでに執拗にが附け狙っていたのは、わたしとあの人、だったのだろうか。
 産まれてくる子がどんな顔をしているのか、いいや、人の形をしているのかさえも、わたしにはわからない。