幸村たちとのスキー旅行に出かける俺を左近はあれこれ心配しつつも笑顔で見送ってくれた。
 くまさんリュックの中には寒い夜でも風邪をひかないようにとカイロや腹巻きに湯たんぽまで、左近の愛情と共にぎっしりと詰め込まれたがこれらが使われることは無い。
 なぜなら俺はスキーになんか行かないからだ。

 
  

 
 俺の手の中にある古びた小瓶。
 これを手に入れたのは紀之介のところに向かう途中、何気なく寄り道した裏路地にあった小さな店だった。
 何度か通ったことのある道だったのにいままでそんな店があることに気付かなかった。
 入り口の扉は中華風。
 美味しい飲茶なんか出す店だったらラッキーだな、と思って入ってみると中は薄暗く漢方の材料やら呪いの道具みたいなものが所狭しと並んでいる。 期待が外れた。でも、これはこれでおもしろい。

 
「いらっしゃいな。」

 
 店の中を見回していると奥から女の声がした。

 
「あら、貴方も随分可愛らしいのね、何のご用かしら。」

 
 がらくたの山の隙間から顔を見せたのは魔女みたいな女。
 病気なんじゃないかと思うような青白い肌色をして、眉を塗りつぶすような独特の化粧をしているから若いのか年寄りなのかもわからない。

 
「ここには初めて来た。何を売っているんだ。」

 
「何でもあるわよ。でも、貴方が買う物は私が選ぶの。ここはそういうお店。」

 
 なんだそれ。俺が買うべき物なんてわかるんだろうか。

 
「貴方にはそうね...、例えばこんなのはどうかしら。」

 
 女は長い爪でカウンターの上にいくつか並んだ小瓶の中から赤色の磨りガラスをひとつ摘まみ上げる。

 
「飲めば一日だけ、犬になれる不思議な薬。
 貴方だったらさぞや可愛い犬になれるでしょうね。」

 
「ふん、犬になんてなりたくない。」

 
 店を出ようとする俺を女の言葉が引き止める。

 
「あら、そう?犬だったら、人間の時には見えないもの、見えるかもしれないわよ。」

 
 俺だって信じたわけじゃないぞ。
 ただ、ちょっとだけ、それが本当だったら面白いな、なんて思ってみただけだ。
 例えばそうだ、俺の知らない左近。
 俺が居ないところで左近はどんな顔をして何をしているんだろう。
 薬が本物ならそれが見れるかもしれない。
 高いのかな。左近が無駄遣いしないようにってお小遣いをケチるせいで持ち合わせはあまりないんだけど。
 財布の中身をのぞく俺に女は笑って言った。

 
「お代は試してからで結構よ。
 私も貴方がわんちゃんになった姿をみたいものだわ。」

 
 その時から俺は計画を練った。
 そして用意周到に準備を進め、ついにそれを実行する時が来たと言うわけだ。

 

 

 

 とりあえず幸村の部屋に荷物を放り込む。
 幸村にもこの計画については詳しく話していない。
 犬に変身する薬、なんて信じてもらえるとは思わないから。
 事情をよく知らない幸村は俺と左近がけんかでもしたのかとおろおろしていたけど、俺は今それどころじゃないんだ。
 早速薬の小瓶をポケットから取り出す。
 左近からは知らない人からもらった物を口にしちゃいけません、って厳しく言われてるけどこの際構うものか。
 俺は一気に瓶の中身を飲み干した。

 

 

 

 目の前でぱたぱた揺れるものがある。
 なんだ、これ。
 ふわふわして、黄金色で、なんだか可愛いぞ。
 俺がそれに触れようとするとひょい、と逃げてしまう。
 追っかけて、逃げられて、また追っかけて。
 近付けば遠ざかるそれ。
 そうしているうちに俺は自分がくるくると廻っていることに気付いた。
 俺が止まればそれも止まる。
 これ、俺にくっついているんだ。
 ていうか、生えてる?
 もしかして、これ、俺のしっぽ?
 急いで俺は自分の身体を見た。
 黄金色なのはしっぽだけじゃなかった。
 全身、ふわふわ黄金色の毛並み。
 よく見えなかったけど背筋のところがちょっと濃い色で、お腹としっぽの先と四つのつま先は真っ白い。
 本当に犬になったんだ。
 よし、ここは試しに雄々しく遠吠えだ。

 
「くぅーんっ!」

 
 空に谺するはずのそれは、自分でも腰が抜けるくらい可愛らしくて...これってもしかして犬は犬でも子犬じゃないか。
 俺が考えていたのはシェパードとか、ドーベルマンとか、そういう大型犬で強くてカッコいいはずだったのに。
 しかもよくよくみれば必要以上におっきなしっぽはその色といい形といい犬というより狐みたいだ。

 
--貴方だったらさぞや可愛い犬になれるでしょうね。

 
 薬をくれた女の言葉が蘇る。
 くそっ、でも落ち込んでなんかいられない。なってしまったものは仕方ないんだ。
 それより左近に会いに行かなくちゃ。

  

 

 

 マンションの玄関のドアの前にゴミ捨て場で拾った段ボール箱を引っ張って来て、自らの中に入る。
 そう、俺は、路傍に捨てられた子犬。優しい人(左近)が拾ってくれるのを待っている...にもかかわらず、左近の帰りは遅かった。
 いつもならお夕飯を作ってくれている時間なのに。
 俺の留守をいいことにどこかで飲んでいるのかなぁ。
 辺りもすっかり暗くなり、待ちくたびれた俺はうたたねを始めた。

 
「なんだこれ?捨て...きつね?」 

 
 聞き覚えのある声で目を覚ます。
 左近だ!帰って来たんだ。狐じゃないぞ、俺は犬だぞ。

 
「人のうちの前にこんなもの捨てるなんて、まったく..。」

 
 ぶつくさ言いながらも左近は俺を抱上げてくれる...と思いきや箱ごと俺を隣の部屋のドアの前に押しやった。しかも靴先で!

 
「くぅんっ! きゃん!きゃん!!」

 
 なんて酷い奴なんだ。こんないたいけな子犬を放っておくなんて見損なったぞ、左近!
 もう箱になんて収まっていられるか。俺は飛び出して左近のズボン裾に噛み付いてやった。

 
「おっ、おい!やめろ!!穴あくだろう!
 わかった、わかったよ。一晩くらい泊めてやるから。」

 
 うん、それでこそ俺の左近。許して使わす。
 俺は牙をしまい込んで愛想良くしっぽを振る。

 
「この前は猫で、今日は犬か...。
 殿がいなくて本当に良かった。
 今度はこいつを飼いたい、なんて言い出しかねないな。」

 
 ぶつくさ呟く左近について俺は堂々と我が家に侵入を果たしたのだった。

 

 

 

 


 

生き物が嫌いなわけではないけど、今は殿のお世話で手一杯
ペットどころではない左近のおじさま