四つに這わせた背の汗に湿った傷跡が躍るのを、高虎は目を細めて見下ろす。
 常に真っ正面から敵に当たるこの男の性格からすれば傷を受けるのも身体の正面だけなのかと考えていたが、なるほど戦場のこと。
 ふいに後ろから斬りつけられる事も多かろう。
 もっとよく見てやろうと顔を近づけると、自然、いっそう深く抉り込む形になり、ひっ、と短い悲鳴をあげて直政が肩を跳ね上げた。

 

「ああ、ごめんな。痛かったかい。」

 

 そのままわざと緩く慇懃に、ぐるりと中を抉りながら背骨の窪に舌を這わす。
 汗の味と共に熟れた肉の匂いが鼻をつく。
 獣臭いようでいてどこかに甘さの残る、これは彼だけの匂い。
 入り口の辺りまで引抜いて小刻みに焦らし、直政が息をついたところを再度奥まで突き込むと、今度はもう耐えられぬとばかりに身体を保っていた腕が崩れ落ちた。
 脱ぎ散らかしたままの己の着物の上に額を擦り付ける形になると、短く切られた髪の間に覗く項に、汗が流れを作っているのが覗き見える。

 

「こんなふうにされたことなんてないだろう。」

 

 湿ったその髪に手をかけ、無理に顔を横に向かせて告げてやる。
 真っ赤に上気した半分だけの顔は、怒りと、恥辱と、羞恥と、背徳と、それらを全部ないまぜにして、それを濃い快楽で塗りつぶしたような、実に好い表情でこちらを睨んでいた。

 

「あんたは随分大事にされてきたんだものなぁ。」

「なに.っ..を.」

 

 言葉の意味がわからない、というような視線を向けられて高虎は口だけで笑う。

 

「自覚もないんだな。
 皆がよってたかってあんたを可愛がる。
 あんたは十分な代償を払っていると思っているんだろうが、所詮は温室育ちだ。
 払った分、報われるなんてこの世の中じゃあ恵まれているんだぜ。
 ただ奪われるだけの人間の方がどれだけ多いか知れねえ。
 結局のところあんたは脆い。ほら、なぁ?」

 

 首を振って唇を噛み締めてしまった直政の腰に手を回すと、そこは熱く脈打ち触れた高虎の指もすぐに濡らして、扱きあげる度に明け透けな水音を立てる。

 

「やっ..それ..いやッ」

 

 がたがとわななき出す肩。
 戦場では身につけている分厚い鎧のせいで実にたくましく見える身体も、全て剥いでしまえば存外細いことを高虎は知っている。
 華奢という程では無いが、それでも際立って立派なわけでもない。
 要は均整が取れているということなのだろう。
 骨も、肉も。
 てんでばらばらに、まるで陽を求めて伸びる蔓草のように好き勝手に育った自分とは違う直政の身体。
 高虎からみればそれはほとんど奇跡的な確立で形作られているのだが、当人にその自覚はないようで例え戦で手足を失おうとも気にせぬ風情。

 

--だから、そうだ。汚して崩して引き裂いてやりたくなる。

 

 彼に触れた者は皆、多かれ少なかれ同様に感じるに違いない。
 沸き上がるような情愛と、手酷く痛めつけてやりたい衝動の間で煩悶する。

 

「とうどう..?」

 

 鈍くなった動きを訝しんで掠れた声が名を呼ぶ。
 それには答えず身体を返して仰向けようとすると、その手を払いのけられた。

 

「くそっ。」

 

 小さく吐き捨てて、仕返しにいっそう強く腸(はらわた)に抉り込む。
 衝撃から逃れるように前に押し出されて崩れた身体を、高虎は腰骨に五指をめり込ませてやっと支えた。
 情事の度に、必要以上に肌を触れ合わせたくないと言う直政が高虎は気に喰わない。
 それが何になると問い詰めてやりたくもなる。
 高虎とのこうした関係を主人は気づいていないと直政は信じていた。
 愚かなことだ。直政を高虎に与えたのはその主人自身であるというのに。
 それを知ったらこの男は一体どんな顔をするのだろう。
 
 
  

 

 

 
 
 こちらにつく代償に何か望むものはあるかと彼の主人は高虎に問うた。
 自分を案内してきて今は閉じたふすまの向こうに控えている直政を指して、あれが欲しいと高虎は答えた。
 まるで高価な猟犬のように毛並みがよく手入れも行き届いたその男を、主人がどれほど愛玩しているのは彼ら主従の間に漂う余人を寄せ付けない空気から、高虎にも容易に感じ取れた。
 少なくともその時の彼は新しい主人を計ってやるくらいの心づもりだった。
 さて、この人はなんと答えるだろう。
 次の天下の主と目されるこの人の、ほんの僅かでも戸惑う顔や動揺する様が見られればそれで十分。
 冗談ですよ内府殿、俺とて身の程をわきまえております故あなた様が大事にご寵愛されるご家臣に手を出そうなどと本心からではありません、そんなふうに誤摩化して笑い話に終わらす気で居た。 
 こちらが支払う代償、日和見の裏切り者という生涯続く汚名に比べれば、これくらいは他愛も無かろう。
 しかし、主人は高虎の戯れにいとも簡単に頷いた。

 

「よかろう、あれはとても素晴らしい男だからきっとお前の気に入るだろう。
 ただ--」

 その人は暗く陰鬱な笑みをして、

「お主はきっと苦しむことになる。」


 
 儂はお主があれに気づいたことがわかっただけでも良い男に出会ったと思うよ。
 お主と儂は存外よく似ているのやもしれぬな--。
 
 
 


 
 約束の通り主人は高虎が直政に近付くのを黙認した。
 彼は何事にも決して気づいていない振りをした。
 それは狐狸に例えられる彼の完璧な演技だった。
 高虎は直政に彼の主人に言ったのと同じことを告げれば良い。
 こちらにつく見返りに貴方が欲しい、とそれだけを簡潔に。
 そこから先は呆れるほど容易で、初めのうちは多少逡巡する素振りも見せたものの一度閨に引き入れてしまえば後はなし崩し。
 当の直政は、この関係は自らの意思で選択したものだと今だに疑ってもいない。
 彼は自らの献身を誇りにすら思っているふうであり、こうなってなお一線を引きたがるのはその為だ。
 好奇心から始まった想いが質を変えていくうちに、あの時の主人の言葉の意味に高虎は徐々に苛まれ始める。
 煩悶する高虎に主人はやはり何も言わない。
 思うにあの人は共犯者が欲しかったのではないか。
 この、出口の無い苦しみの。
 
 

 
 腹の下で直政が啼いている。
 赤子のような老婆のような、長く尾を引く兎に角耳に障る嫌な声だ。
 高虎は平素の彼のよく通る声が好きであるのに。
 これでは助けを求めているのか、殺してくれとねだっているのか、それすらも分からない。

 あなたのことはなにひとつ。

 分からないからもう少し、あともう少しはこうしていよう。
 せめて声の枯れるまで。

〈了〉



  

  

 
   

     


直地点の無いまま終了