※史実関係ありません
※いえやっさまの晩年については完全創作です。静岡でゴルフ三昧の日々ですってね。
※年齢は采配ベースで考えていますが細かい部分は適当です。
※40でおばあちゃん云々は、たしかしばりょー先生が書いていた気がします。 当時の女性は(多分男性も)老けるの早かったって。コラーゲンなんてないしねぇ。
※結局見に行けなかったいえやっさまの遺愛品展。関ヶ原の屏風が出ていたはず。見たかった...。
関ヶ原の大戦を仔細に描かせたその屏風を前にして、夫はわたしに語って聞かせる。
「この時が儂の生涯での正念場であった。
朝から霧が深く儂は内心不安でたまらなかった。
戦の結果はメ見えてモいたことだが、それでも安堵はできぬものだ。
ここに直政がいる。功をあげようと抜け駆けておるのだ。
儂はそれに気づいておったが、あれがなんとも健気で黙ってゆかせた。
思えばあやつを追いつめていたのは儂だったのかも知れぬ。」
彼の眼はもはや、屏風の向こうのあの日を見ている。
絵の中の人々のほとんどはもはや死に絶えてこの世にいない。
その半分は彼が殺した。
そしてこの絵の主役である彼自身ももう長くはないだろう。
彼の幸福の絶頂はこの日の勝利の瞬間に終わったのだ。
それからの彼は酷いものだった。
誰のことも信じようとはせず、血を分けた子どもたちでさえ選別し、古くから側に仕えていた者たちを遠ざけて、独り冷たい玉座に座り続けた。
人の心が読める、という彼が天から授かった異能は彼にこの国で一番の富と権力をもたらしたが、その代償に心の休まる時を奪ってしまった。
この能力を手に入れてから夢を見たことがない、と彼はわたしに言ったことがある。
眠りの中にさえ逃避する場を亡くしたこの人をわたしは哀れに思ったものだ。
しかし、今、子どものように無邪気に昔を語る彼の横顔はとても穏やかだ。
数年前から彼の持つ『眼』は次第に曇り始めた。
それを得たのが唐突であったように、その原因はわからない。
人の心が見えることに怯えていた彼は、今度は心が見えぬことに怯えなければならなかった。
人を恐れさせてきたはずの彼が人を恐れ、隠居と称してひとり引きこもるようになり、仕舞いには外界と自分との間に築いた壁をさらに厚く塗り込めるように何事にも関心を示さなくなっていった。
そうして今、彼はまた霧の中にいる。
自分が何者であるかを忘れてしまった彼には、側にいて世話をするわたしが誰であるのかなど理解できていないだろう。
わたしたちは1日の終わりにこの屏風の前に並んで座り、彼の話を聞くことを日課としている。
毎日毎日、一言一句違わずに繰り返されるあの日の話を。
「ほれ、ここに女がひとりおるだろう。」
彼は絵の中の豆粒のようなわたしを指す。
「これは儂の妻だ。
儂はこれを皆に見せびらかしてやりたくてわざわざ戦場に伴った。
若く美しい女だった。
世間知らずで勝ち気で無鉄砲で、なにより純粋であった。
儂はこの女が13の時に娶って18になるこの時まで指一本触れずにおいたのだ。
何故だかわかるか。
これ、この首。
白く長く細く、高麗の白磁の花器のようだろう。
誰もが我が手でこれを手折りたいと思う、その為に作られたような首だ。
儂は、そうだ、儂はこの女が、我が妻が戦乱の中で猛り狂った兵どもに蹂躙される様を見たいと密かに願った。
そうして得た痛みがどれほど心地よいかと考えるとそれだけでもう、戦の憂さが消し飛ぶ気がした--。」
彼の、我が夫の口から語られるわたしへの歪んだ思い。
それは幾度聞いてもわたしに言いようの無い充足感をもたらす。
例えばあの時、同じ事を聞かされてもきっとわたしには何も理解できなかっただろう。
けれどわたしももう四十に近い。
人は皆わたしに奥方様は嫁いで来られた時となにひとつお変わりないだの、いつまでも若くお美しくいらっしゃるだのと、下らないことばかり言うがそれが全部嘘っぱちであることはわたしが一番良く知っている。
豊かだった髪は艶を失い、肌に現れ始めた皺は隠しようもなく深い。
屏風の中の少女であった頃のわたしとはまるで別人だ。
しかし、こうして夫の口から語られる言葉には打算も嘘も無い。
これほどの想いを告げられて、嫌だと思う女がいるだろうか。
わたしは今、夫に恋をしている。
あの日には知らなかった、わたしにとって初めての恋を。
お勝様の初恋物語 時間差でクるマゾヒズ.ム
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