珍しく向こうから会いたいと短く伝えるメールが入って、思い起こせば誘うのはいつもこちらからだったことに今さら気付いた。
 ただ、その日の吉継はある理由からとても不機嫌であったので、仕事が立て込んでいるので今日は無理だと返事をかえしてものの数秒で着信音。

 

--まぁお互い忙しい身の上だからな。仕方ねぇよ。

 

 そんなふうに妙に聞き分けの良い大人の顔の裏側で、ふつふつと音を立てる執着に優越を覚えるのが彼とつき合う醍醐味のひとつだったので、こんなふうに追い縋られることに慣れていない吉継はいささか困惑した。
 ここまできて彼の言うままになるのは矜持が許さなかったし、顔を合わせれば面倒なことになりそうな予感もしたのではじめは無視していたが、数分ごとに増える一方の履歴に放っておいてもっと大きな厄介事に巻き込まれたらそちらの方がもっと面倒だと考えて、仕方なく貴重な時間を割く事にした。
 一緒にゆっくりお茶を飲む、なんて気は毛頭なく、近くの駅の改札口が待ち合わせ場所。
 顔を見せたらすぐに戻って来ようと思い、コートはハンガーに預けたままで大きめのマフラーだけを羽織り、財布と携帯だけをもって出る。
 駅へと続く商店街は昨日までハート型のディスプレイがそこかしこに躍っていたのに、一日過ぎれば現金なものですっかりひな祭りのそれに変わっていた。
 そういえば彼も、と吉継は思い出す。
 何日も前から会う度に、彼はその日のことを会話の端々にほのめかしていて、どこそこの限定トリュフがうまいだの、去年誰それからもらったカレはシンプルだがカカオの風味が実に濃厚であっただの、仕舞いには甘い物が苦手な相手にはチョコレートではなく例えば洋酒であるとか小物の類い、下着なんてものなんかを贈るのもなかなか趣向をこらして面白いだの、聞かれもしない事をべらべら喋った挙げ句に、こう宣った。

 

--あんたがくれるなら俺は10円チロルでも泣いて悦ぶけどな。

 

 自分がどんな思いでいるかも知らないで、実にのんきに吐かれたその一言に吉継は昨日という日を彼の前では徹底的に無視してやる事に決めたのだ。
 定刻を一秒でも過ぎたら待たずに帰ってやろうと近付く先に彼の姿は既にあった。
 わざとゆっくり歩を進めてこちらに気付いた彼と目があった瞬間に、彼はにっと、口の端を歪めて微笑んだ。

 

「昨日がなんの日だったか知ってるかい。」

 

 開口一番、実に得意げに。

 

「知らないな。」

 

 短く冷たく答えて、なんだこいつ、やっぱりそんなことでわざわざ呼び出したのかと考えたら無償に苛立たしかった。
 もうその日は過ぎたというのに、子供でもあるまいし、存外未練がましい奴。

 

「あんたそれだけの顔してんだ。山ほどもらったんだろう。」

「なにを。」

「なにって、チョコレートさ。」

「お前には関係ないよ。」

「関係なくなんてないさ。あんたのことはいつだってなんだって気になる。」

「用事はそれだけか。仕事が途中なんだ。戻らなければ。」

 

 背を向けて立ち去ろうとする腕を掴まれて、掌に押し付けられた小さな包み。

 

「あんたがくれないからさ。」

 真っ黒なビロード張りの箱にゴールドのリボン。

 

「甘いもの好きじゃないってのは知ってるつもりだけどよ、こういうのはほら、なんていうか縁起物みたいなものでさ。贈ることに意味があるんだと思うぜ。」

 

 少し照れたような、困ったような顔をして、彼は顎を掻いている。

 

「...一日遅れでもか?」

「昨日一日渡そうかどうしようか悩んで、もしかしたらあんたの方から、なんて期待なんかもしてみたりして、散々弄り回してたから溶けてるかも知れないけど。」

 

 たまには甘いものも、いいんだぜ。疲れがとれる。
 吉継が押し返す前に、それだけ言うと彼は駅の雑踏に紛れて行ってしまった。
 この後ろ暗く波立つ心を置き去りにして。
 ああ、やっぱり腹が立つ。
 胸の奥がちりちり焼ける思いは、彼のせいではなく。
 手に残された包みを妙に重く感じながら、吉継はひとり仕事場への道を戻り始める。
 あの部屋の雑然としたの机の上、うずたかく積まれた資料の陰にはもうひとつ、チョコレートの小箱が埋もれている。
 それは彼が年下の恋人の為に用意した物だったが、レポートだゼミの合宿だと忙しそうなその人には結局会えずじまいのままその日は過ぎてしまった。
 いまさらあれを誰かに渡す気になれず、かといってなんの罪も無い菓子を捨てる訳にもいかずに、行き場のない小さなプレゼントを持て余していたところだったのに。
 それがこうしてふたつに増えて、甘いものは得意でない自分はまったくどうすればいいのやら。
 仕方なしに奇麗な包みをひとりで解いて、思惑の詰まった塊を口に運ぶ自分の姿を思い浮かべて吉継は途方に暮れた。



  

  

 
   

     


2009年のバレンタインSSでした