俺にだって友達を祝ってあげたい気持ちくらい人並みにある。
 でも朝のチャペルからご親族同伴の披露宴、カフェを貸し切りにしての二次会パーティーと立て続けに参加して、弥九郎とは個人的なつながりしか無い俺にとっては初めて会った知らない人だらけの中での食事は全然喉を通らなくて、正直もううんざりだ。
 それでも左近が隣で手を握っててくれたからどうにかやり過ごせたんだけど、それがなかったらとっくに何もかも放り出して家に逃げ帰ってベットに潜り込んでいるところなんだけど、その頼みの左近も俺なんて置いてけぼりで新郎新婦とご歓談中。
 弥九郎の嫁さんはそりゃ確かに美人だ。20歳。美大生だって。
 ちょっと目元がつり上がってて、ふわふわくるくるのパーマがチャペルの天井に描かれていた天使みたい。
 あいつ、仕事が忙しい忙しいって年中出張で飛び回ってるくせにどこでこんな嫁さんをみつけたんだか。
 ドレスに押し上げられた胸元がはちきれそうで、若い女ってこういうものなんだな、ってなんだかしみじみ見てしまう。そして、その下の腹はなだらかに曲線を帯びて...そう、現在妊娠5ヶ月。いわゆるできちゃった結婚てやつだ。嫁さん学生だろ。卒業制作が子供、なんてオチ付きか。
 左近、何を笑っているんだろう。
 楽しそうだな。
 そうだよな、お前は胸がおっきな女が好きなんだ。そんなの、年とったら垂れるだけなんだぞ。
 それにいくら仲良くなったところで、彼女は弥九郎のものじゃないか。
 俺だって、左近がそんなふうに考えてない事くらいわかってる...けど。
 おもむろに左近の手が新婦のふくれた腹にそっと触れる。
 お前、それはいくらなんでも失礼じゃないか。
 って、なんでそこで弥九郎まで笑ってるんだ。
 動く?五ヶ月でもう分かるのか?
 左近、すごくうれしそうだ。自分の子でもないのに。
 あいつ、あれで子供好きだから...な。子供、ほしいのかな...。
 左近の笑顔を見ているのが辛くなって、正確に言うと左近の笑顔の隣で一緒に笑えない自分が嫌で俺はどこか逃げ場を探す。
 いつもの静かなカフェは人で溢れて全然別の場所みたいだった。
 窓際の俺のお気に入りのソファ席も、ああ、誰だか知らない奴に占領されて、そのうえ盛大にフルーツポンチをこぼされて座れやしない。
 兼続は早々に酔っぱらってへべれけだし、幸村は新婦のお友達に囲まれていい玩具にされている。ビンゴのナンバーはとっくにわからなくなっちゃったし、紀之介は...料理と飲み物の用意でそれどころじゃないよな。
 

 なんだか嫌だな。
 みんな楽しそうなのに、俺だけ嫌なんて、嫌だな。
 

 俺は勢いに任せて近くにあったシャンパンを飲み干した。細かな泡が口の中でちくちく痛い。
 それでも我慢してグラスを空にしたら、頭がくらくらしてきて、眠たくなって来て、だるくて仕方なかったから、俺は部屋の隅っこのテーブルの下に潜り込んだ。
 小さい頃もこうやって、里親の元で一緒に育てられた元気のよすぎる幼馴染み達から逃げてよくダイニングの大きな食卓の下に隠れ込んだっけ。
 しばらく、ここで休ませてもらおう。
 元気になったら何も無かったふりして出て行こう。
 それまでどうか誰も来ませんように。
 左近も、兼続たちも、俺が居なくなった事に気がつきませんように。
 みんなが俺を忘れていてくれますように。

 

 

 

 

 あの人が、テーブルの下に潜り込むのを見つけた時、これはチャンスだと思ったわ。
 とてもラッキーなことに左近のおじさまはおしゃべりに夢中であの人がいなくなったことに気付いていない。
 あたしはサーブしてる途中のお盆をほっぽり出してあの人を追いかけてテーブルクロスのドレープをかき分けた。
 薄暗くて、お客様達のおしゃべりも届かなくて、ここはまるで遊牧民の小さなテントみたい。その中であの人は冬眠中のリスみたいに丸まって床に踞っていた。
 

「お加減でも悪いのですか?」
 

 似合わないお酒の匂いを漂わせるあの人の顔があんまり白いから、あたしはそんなふうに声をかけたの。そっと、小さく、あの人を驚かさないようにね。
 重たげに長い睫毛が上げられ、その下に隠されていた鳶色の瞳がゆっくりとあたしを映す。
 

「...左近、すごく楽しそうにしてる。俺が居なくても。」
 

 まだ呂律の廻らない言葉。文脈の無いそれを声に出してしまってから、我に返ったのかあの人は頭をふってあたしの姿を確認した。
 あたしはミネラルウォーターをボトルごと手渡す。
 それを受け取ってひとくち飲むとふぅっと息をついてあの人は言った。
 

「ありがとう。お前...えっと、すまん。名前が分からない。教えてくれないか。」
 

 感謝します、神様。
 あの人があたしの名前をきいてくれるなんてこれは夢ではないかしら。
 

「初芽ですわ。藤堂初芽。」
 

 鳴き方を覚えたての小鳥のように、震える声で、でも精一杯あたしは答えたの。
 そしたらもう胸がいっぱいになっちゃって、うれしいのと恥ずかしいのと、ずっと待っていたこの時が訪れてしまったことへの不安と焦りと期待と、もうとにかくいろんな感情ががにいまぜになって洪水みたいに襲って来て、気がついたらあたし、子供みたいにぼろぼろ泣いてた。
 

「どうして泣くんだ?」
 

 あの人は少しびっくりした顔をしていた。そりゃそうよね。あたしみたいに花のような乙女に目の前で泣かれたらいくらあの人だって普通じゃいられないわよ。
 

「うれしいのです。私は三成様とこうしてお話しできるのを夢見ていましたもの。」
 

 ぬぐってもぬぐっても溢れて止まらない涙に頬を濡らすあたし。なんて健気。なんて純情。
 

「なんだ。そんなの簡単じゃないか。こうして話しかけてくれれば良かったんだ。」
 

 ぐっしょりと濡れた睫毛を持ち上げて作った笑顔にあの人も釣られたように微笑んでくれて。
 

「そうですわね。どうしてこんな簡単なこと、今までできなかったのかしら。」
 

 でも単純な事ほど難しいのよ。
 人の心はその持ち主にだって思うように動かせないんだから。
 そのままふたり、くすくすと小さく笑い合って、やがて訪れる沈黙。
 

「ああ、また眠くなって来た。」

 小さなあくびを残してあの人の瞼がゆっくり閉じられていく。
 手にしていたボトルが床に転がった。
 大理石の眼球が血管の透き通る瞼に覆われて見えなくなってしまうのをあたしは奇跡を見守るような気持ちで眺めていた。
 今、この二人だけに許された時間に、この安らぎの凝縮された空間に終わりがこないようにと、あたしは祈った。
 永遠のものなんてないって、それくらいのことあたしにだって分かっているわ。けれどあたしはその時、確かに永遠を願ったの。
 瞼を完全に落とし、意識を眠らせたあの人の身体がぐらりと前のめりに倒れてくる。
 その華奢な肩を両手で支え、間近にせまったあの人の顔を覗き込むようにして、今にも止まりそうにか弱い吐息が漏れるその唇にあたしはそっと自らのそれを...。
  

「ぬけがけなんて、感心しませんね。」

 

 

 

 

 気がついたら殿の姿がない。
 ついさっきまで隣でプチフールを頬張っていたのに。
 さほど広くない店内をくまなく探しまわるが、彼の姿はどこにも見当たらない。
 先に帰ったかと思い、店の奥のクロークに荷物を確かめに行こうとしたその時。
 こつり、と音がして何かが靴に当たった。不思議に思ってみて見ればミネラルウォーターのペットボトル。
 さてどうしてこんなところに、と思ってみて辺りを見回すとすぐ側の使われていないテーブルの下から覗く赤いエナメルの踵。
 もしや、いや万が一とクロスをめっくたら案の定そこには。
 

「あ゛。」
 

 意識もうろうとしている殿に今にも口づけようとしている少女の姿。
 

「ぬけがけなんて、感心しませんね。」
 

 まったく油断も隙もありゃしない。
 この娘、バレンタインのあの一件でちょっと調子にのってやしないか。
 それにしても間違いがおきる前に発見できて本当に良かった。
 

「おさぼりはそれくらいにしてお仕事に戻ってください。店長がご立腹ですよ。」
 

 ニーソックスの足首を掴んで引きずると、ぎゃーぎゃーと喚き立てながらメイド姿の少女が出て来た。
 続けてぺたりと床に座り込んだ姿勢のまま天使のような寝顔を晒している殿の腕を掴んで外に出す。
 

「殿。もうパーティーも終わりです。
 いつまでもこんなところに隠れてないで帰りましょう。」
 

「んー..。」
 

 まだ夢うつつの彼を抱き起こし、俺は早々にこのパーティーからおいとまする事に決めた。後ろから少女の恨みがましい視線が突き刺さってくるけど気にしない。
 慣れないアルコールにすっかり足下がおぼつかない彼をおぶって家路を辿る。
 線が細いとはいえ立派な男だ。軽くはない。けれど背と腕に預けられる身体の重みに安心する。この人が、確かに自分の手の中にあるのだと確認できたようで。
 すっかり闇につつまれた住宅街を、マンションに続く坂道を上って行く。
 坂の上に月が出ていて、それがきれいな満月で、俺は立ち止まって空を見上げた。
 

「左近..?」
 

 いつの間にか目を覚ましていた背中の彼が名を呼んでくる。
 

「殿、月が奇麗ですよ。」
 

 返事の代わりにぎゅっと、首に回された腕に力が込められる。そのまま耳元にぐっと顔を寄せられて、産毛をくすぐる吐息が少しくすぐったくて、とても心地よい。
 

「左近。お前もさ、結婚、とか..したい、か?」
 

「突然何を。」
 

 唐突な発言に言葉を返せずにいると。
 

「だってさ、お前、子供、好きだろ。自分の子供、欲しいって思わないか?」
 

「殿、酔ってらっしゃるのか。」
 

「あの子はどうだ。紀之介のところの。
 ちょっと若すぎるかもしれないけど、お前、若い子がいいっていつか言ってたじゃないか。
 な、お前、あの子とつき合ってみる気ないか。」
 

 何故、今、そんなことを言うのだろう。それもよりによってあの娘。彼女の気持ちなんて彼は想像さえしていない。
 

「お止めください、殿。」
 

 そんな答えのわかりきった、話にもならない世迷い事をそれ以上聞いていたくなくて静止する俺に構わず彼はどこか切羽詰まった語気でまくしたてる。
 

「俺から紀之介に言って紹介してもらうよ。
 見た目はけっこう可愛いし、お前と並んだら..えっと、ちょっと親子みたいだけど、それなりにお似合いだと思うんだ。だから..」
 

「殿!」
 

 止まることを恐れて言葉を紡ぐその様が痛々しくて俺はつい声を荒げた。
 びくり、と彼の身体が強ばるのを背中に感じる。
 彼のためなんかじゃなかった。これは俺の我が儘だ。自分が傷つかないために俺は彼の口を塞いでしまいたかったんだ。
 

「...だって、俺じゃ無理なんだ。俺じゃ..お前と家族になれない...。」
 

 声は、震えていた。
 彼が何を言いたいのかはわかる。
 俺たちは恋人同士で、一緒に暮らしていて、けれど家族じゃない。
 二人を繋ぐのはお互いの感情だけ。
 たったそれだけの強くて、頼りない絆。
 何の保証も持たず、未来に繋がることの無い現在だけを繰り返す毎日。
 でも本当に今のままじゃだめなんだろうか。
 恋人同士なだけではずっと一緒にいられないのだろうか。
 今振り返ればきっと間近に彼の泣き顔を見てしまうから、そしたら今まで通りの二人ではいられない。そんな気がして俺は再び前を向いて歩きだす。

「俺は、殿とずっと一緒に居られれば、それで。」
 

 嗚咽をかみ殺す彼に小さく呟いた言葉は伝わっただろうか。
 伝わったところで答えが出るはずもない。
 俺はもう一度頭上に浮かぶ月を見た。
 満ちた月もいずれは欠けるように全ては変わっていく。
 俺は二人の、一見満ち足りていた関係が動き出した事をまだ本当には理解していなかった。

  

  

 
   

     


リリカルな殿と、そんな殿にちょっと困っている左近と、二人に全く関係なく一人で舞い上がっている初芽
全く目立っていませんが小西嫁のジェスタさん初登場でした
殿が左近に初芽ちゃんを薦めたのは最も最近目にした女性、というそれだけの理由
名前はわかってもらったものの彼女は殿にとって今のところその程度の認識