智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

  

 ...なんて書いていたのは夏目漱石だったっけ。
 このところ何かにつけてついていない彼は、むかし教科書で読んだそんな文章を思い出す。
 そもそも年の初めからして歯車が噛み合わなかった。
 共に三が日を過ごすつもりでいた恋人が実家の年中行事とやらで除夜の鐘の鳴り止まぬうちに単車を駆って出て行ってしまったおかげで、元旦から同じく暇を持て余していた友人のカフェで無意味な時間をつぶし、来客の無いのをいいことに結局は持参した日本酒(これだってもともとは酒豪の恋人と空けようと思って用意していたのに)で酔いつぶれた。流石に過ぎた酒のせいか何年かぶりにやってきた二日酔いに頭の中で大筒が立て続けに発射されているような感覚に陥り、初夢を見る気力も無かった。
 そのカフェのバイトの女子高生にはすっかりイカ扱いされている。だいたい俺のどこがイカなのだ。前世の因縁か何かか。ちょっとばかりカワイイからって良い気になりやがって。可愛らしさにかけては貴様など、三成の前には小便臭いガキではないか。
 しかし、その三成。
 年末に行われた何回目かの個展は玄人筋に大層評判は良かったが、その中でも自信の一作のモデルに三成を使ったことでその三成にかけては鬼ともなる恋人に因縁をつけられぺらぺらに伸されてしまった。痴話げんかに他人を巻き込まないでもらいたい、と彼は自分の絵は棚に上げて思う。
 

 とにかく彼はついていない。

 
 彼は物事についてあれこれ思い悩む性分ではなかったのだけれど、こんな気分でいては筆も進まないので海を見に行くことにした。
 彼が生まれ育った北の海は波が荒くて、防波堤に打ち付ける飛沫は岩を砕くダイナマイトの爆発をみているような気になった。それに比べればこの街の海は冬でも凪のようで、味気無かったけれど、そこには思い出がある。
 海まで約10キロ。
 彼は歩く。車の免許は持っていなかったし、単車の後ろに載せてくれる恋人は忙しく働いている時間だ。バスも電車もあったけれど、見も知らぬ他人と狭い空間に押し込められるのが嫌だったので、片道2時間の道のりをもくもくと歩いた。
 まだ少年だった頃、お師匠に連れられて初めてその海を見た。カップ酒片手にだまったままの大人の横で、自分は途中のコンビニ、というよりはひなびた個人商店で買ってもらった肉まんをかじっていた。
 なんとか商店という名のあの店はシャッターを閉じたまま錆び付かせていた。
 代わりに海沿いの国道脇に出来ていた本物のコンビニでやっぱりあの時と同じように肉まんと、それにカップ酒を買って誰もいない砂浜を見下ろすコンクリート壁に座り込む。
 空はからりと晴れて空気は乾いて冷たい。
 どんよりと曇ったきりの空にちぎれ飛ぶ雪。そんな故郷の冬とは全てが逆だった。
 ぼんやりと水平線に目を走らす。
 こうしているといろんなことを思い出す。
 主に、小さい頃のこと。
 交通事故で父母を失って1人生き残った自分は大人のいなくなった樋口家から、親戚の直江家の養子になって、そこでもなじめなかった自分を画業の手伝いとして引き取ってくれたのが今は亡きお師匠。無口で始終酒瓶を手放さないような人だったけど、それで乱暴を振るうというようなことは一度たりとて無く、酔えば酔うほど(それはまったくと言って良いほど顔に出なかった)流麗に筆を走らせた。真っ白な紙の上に龍やら、鳳凰やら、見たことも無い生き物が立ち現れ、命を吹き込まれて画面一杯に舞い踊るのを彼は夢中で眺めた。
 しなやかな媚態を演じる遊女も、髪を振り乱して刀を振るう若侍も、お師匠の描く物達は皆、彼に語りかけてくる。
 坊や、奇麗なお子だねぇ。どぅれ、もっとよく顔をお見せ。絵の中の狂女に言われるがままに顔を近づけて唇を寄せられたり(覚えている限り、それが彼のファーストキスというやつなのだった)、荒武者に腕を掴まれて後ろから犯されそうになったり(流石に腹が立ったのでその絵はお師匠が留守の隙に猫をけしかけてズタボロに破かせた。あの荒武者め、絵の中を逃げまわってやめてくれとひいひい泣いていたっけ。)、同年代の少年達と駆け回ることもせず家に籠って画中の生命と戯れる自分にお師匠は何を観ていたのだろう。
 お前は心が透明すぎる。透明な心は純粋で、故に一度折れれば修復が難しい、と言われた言葉が今も心の隅に残る。
 

 そんなとりとめもないことを考えているうちに辺りはすっかり夕闇に染まっていた。
 そろそろ帰らなくては。けれど芯まで冷えた身体を引きずってまた2時間歩くのかと思うと気が重い。ぐすぐすと空になったガラス瓶を転がしていたその時。

 
「ここにいたのかい。」
 

 怒濤のようなエンジン音と共に頭上から降り注がれる声。
 

「慶次。」
 

 どうして自分がここにいることがわかったのだろう。
 ああ、そういえば、以前に彼にこの海の話をしたことがあった。けれどそれはほんのささいな会話の切れ端で、彼自身だって話したことすら忘れていたのに。
 こんなふうにして、いまどき携帯も持ってない彼の居所をこの男は見事なまでに嗅ぎ当てることがある。彼の考えていること、その行動、全部お見通しなのだ。それがとてもうっとおしく感じることもあるけれど、今は単純にうれしい。
 絵の中の世界にも見当たらなかった奇跡、なんてものを信じたくなるほどに。
 

「ほらよ。少しはあったまるぜ。」
 

 恋人の投げてくれた缶コーヒーは暖かくて、暖かくて、彼は今まで何を思い煩っていたのかすっかり忘れた。
 それから恋人とは少しの間並んで真っ黒な海を見て、やっぱり黙ったまま互いの缶コーヒーを飲み干したあと、単車の後ろ、恋人の大きな背にしがみついて彼は帰路についた。
 

 冬の風はまだとても冷たいけれど、目に見える世界は暗くて透明で時に見たくないものまで見えてしまうけれど、それで心が折れてしまっても欠けた心で自分は生きて行ける、彼はそう信じている。

  

  

 
   

     


現パロではいまいち報われない(でも本人は平気)直江救済企画
絵の中の皆さんと遊ぶ不思議少年与六が書いててたのしかったです
与六にとってはそれはあたりまえのことなので、慶次が自分を見つけに来てくれたことのほうがよっぽど奇跡なのでした
現パロ直江は本当は死ぬはずだったところを生き延びちゃって、そのせいでいろんなものをクリアに見えすぎる目をもってしまった、
そんなあやかしあやし的設定
そしてポジティブオチ