終電を逃した私は、タクシーを拾うべく大通りに向かって歩き出した。
今日もまた残業だった。これで連続10日目。そろそろ体力の限界だ。しかしそれ以上にお財布が悲鳴を上げている。
どこかの官庁と違って私の働く弱小企業でタクシーチケットなどというセレブなものが配布されることはない。
朝まで漫画喫茶で過ごそうが、カプセルホテルに一夜の宿を求めようが、全て自腹である。
しかしいくらなんでも妙年の女性がネットカフェ住まいでは体力が保たないため出来る限り自宅で眠ることを決めている私であるが、正直帰宅の為のタクシー代もバカにならない。
会社のため身を粉にして残業している社員になんという仕打ち...死者に鞭打つとはまさにこのこと。
打ちひしがれつつも大通りに出れば路側帯には個人タクシーが列をなしている。
私はそのうちのひとつの助手席の窓を叩いて運転手に乗車の意思を伝えた。
自動ドアがひらき、車内に片足を突っ込んだ私はその格好で固まった。
後部座席には既に乗客がいたのである。
でかい扇を手に着物姿、頭の両脇から天に向かって伸びる角(?)は車の天井に突き刺さっている。
「ちょっ、運転手さん!?」
確かにランプの表示はメ空車モだったのに。
慌てて運転手に問いただそうとする私をその青年が遮った。
「どうした、乗るのか乗らないのかはっきりしろ!」
いきなり怒られた。客なのに。
「の、乗ります。」
どうやら青年はご機嫌斜めのご様子。
ここで断りでもしたらあの大きな扇がハリセンとなって私を襲うかもしれない。もう引き返せない感じマンマンだ。
運転手に行き先を告げる私の声は震えを隠せない。
「お務めご苦労。」
青年との距離を保ちつつ、遠慮がちにシートベルトを締める私に青年がどこからか飲み物の入った器を取り出しこちらに突きつけてくる。
え、まさかこれって今話題の居酒屋タクシー?
しかし私のようなしがないOLを接待してどうなるというのだろう。
有無を言わさぬ気迫で突きつけられた飲み物を受け取ると、それは一杯の茶であった。
もしかして毒でも入っていたら...そう考えなくもなかったが爽やかな茶葉の香りに誘われ、私は茶碗に口を付けた。
お茶は熱くなく、かといって冷たすぎず、実に軽やかに喉を潤していく。
「すごく...おいしいです。」
素直に口を付いて出た言葉に青年ははにかんだような笑顔を見せて、おかわりをやろうと言った。
次に出されたお茶は先程のものより温かく、しかし冷まさなくとも飲める絶妙な温度に仕立てられている。
それはまるでオフィスのエアコンで冷えた身体を包み込むような優しいぬくもり...。
緊張が一気に溶け、ほう、と思わずため息をつく私。
「このような時間まで大儀であった。」
なんだ、この人、意外にやさしいのかも。
都会という砂漠に乾涸びかけていた私は、たとえ会ったばかりと言えども人の情けに飢えていたのかもしれない。
「そんな、好きでやっている仕事ですから。
でもやっぱり大変なことはたくさんあります。」
青年のねぎらうような言葉によりどころを見いだし、私はついつい饒舌に積もり積もった鬱憤を吐露していった。
私を理解してくれない上司。
遊んでばかりで文句だけは一人前の部下。
見合い結婚をすすめてくる田舎の両親。
生き生きと自分の道を歩んでいる友人たち。
青年は腕を組み頷きながら話を聞いてくれたうえに、最後にこう言った。
「人には、負けると分かっていても戦わねばならぬ時がある。
“利”のためではなく、自分自身の心の中にある“義”のために。」
なんだかよくわからなかったが青年の言葉はやたらと心に染みた。
いつのまにかタクシーは住宅街に入り、私の暮らすマンションが近付く。
「最後にもう一杯馳走しよう。」
青年が出してきたお茶は今まで飲んだどれよりも熱かった。
舌が痺れるような熱が疲れ果てていた私の心と身体を刺激し、明日への活力を呼び覚ます。
マンションの前でタクシーは止まった。家に着いたのだ。
正直ボられるかなと思っていたがタクシー代はいたって普通だった。
「お釣りはとっておいてください。」
とは言ってみたものの、たった数十円のチップ。
今の私がこの恩に報いるためにできることといえばこれが精一杯である。
料金を支払い終え、車を降りようとする私に青年が名刺を差し出した。
「また入り用の際には呼ぶといい。」
渡された名刺には
「 西軍総大将
石田三成 」
とだけ書かれている。
これでは連絡がとれません、と叫ぶ私の声はエンジン音にかき消されタクシーは深夜の住宅街の闇に溶けて行ったのだった。
ちなみにお茶を飲み過ぎた私はその夜なかなか寝付けず、翌日の仕事はボコボコでした。
この物語はフィクションです
えっと...ギャグ、です。
ドライバーは左近だといい。
こういうのをドリーム小説っていうんでしょうか(多分ちがう)
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