暑気に当たられて覇気のない主人の為にと、左近の持ち込んだそれを一瞥すると三成は形の良い眉を歪めてみせた。

 

「これを俺に喰えと言うのか。」

 

 覗き込んだ桶の中では奇妙な姿の亀が手足をばたつかせている。
 長く突き出た鼻、つるりとした甲羅。どこか間の抜けた丸い目でこちらを見つめてくる様は人間のようで、これはまるで人と亀との間の子の化け物だ。

 

「殿はご覧になった事がありませんか。水虎ですよ。
 丸ごと煮て召し上がれば精がつきます。
 どうぞ好き嫌い為さらずに、薬と思って。」

 

 このような下手(げて)をどこから仕入れて来たのかと問えば、馴染みの妓楼に頼んでわざわざ分けてもらったのだという。

 

「どんなに枯れた男でも、これを食べさせればたちまち春を取り戻せるといいますからね。
 ああ、殿、指を出しては危ないですよ。こいつは一度食いついたら離れません。」

 

 ただでさえ身体が重く、弱り切っている自分にそんなものを食べさせてどうしようと言うのだろう。
 単純にこちらの身体を気遣ってのことなのだろうが、こんなことさえも左近のやる事は艶めいて、なんだか憎らしい。
 ついでに捌き方も習って来たからと、自ら桶を抱えて涅屋
(くりや)に下がろうとする左近を三成は止めてこう言った。

 

「ここでせよ。その化け物の腹の中が見てみたい。」

 
  
 
  
 日頃は殺生を嫌う三成は、けれど何かの拍子にとてつもなく残酷な一面を覗かせることがあった。
 関白の一族の処刑を命じられた時にも、泣き叫ぶ女子供の命乞いを前にして顔色一つ変えずにそれを成した三成を人はなんと冷徹なと貶んだ。
 血も涙も無い、彼の身には大方血でなく水銀が流れているのであろうよ、と。
 左近にしてみればそれは少し違う。
 彼の美しい主人とて人並みの、ともすれば人以上に揺らぎやすい感情を持っている。
 ただ、主人の人ならぬところは自らが苦しむ様に同時に愉悦を感じることだろう。
 例えば閨のことに関してもそうだ。
 淡白であるかと思えば、ごくまれにではあるけれど際限なく求めてくることがある。
 これ以上は無理だと止める左近の心配を主人は理解しない。
 なんだ、だらしのない、これしきで勃たぬとは役立たずめ。
 罵詈雑言投げつけられた挙げ句に、お前が無理と言うならば誰か他の者を呼び入れよう、ああそうだ、小姓の某は顔はまだあどけないが中々に逞しい体つきをしているだの、ついぞ雇った庭男の中に獣のごとき風情の者がいて一度はあのような男に滅茶苦茶に穢されてみたいだのと、そのような出来もしない事をと分かってはいても戯れにでもそのように言われればこちらから引く訳にも行かず、結局は自分から跨がってくる主人をはね除けることのできない我が身はやはり主人の言う通りにだらしが無いのかもしれないと左近は思う。
 今だってそうだ。本心で言えばこれから喰おうという獣の死ぬところなど、目を背けたいに違いないはずがそれをわざわざ自分に見せて苦しもうとする。
 そういう嗜虐的な嗜好をこの人は本質としてもっていて、左近には理解し難い事ではあるがそれは己自身に対してのみ向けられるのであった。
 歪みと同時に、まったくに正常で清らかすぎる心根を併せ持つ。
 故に、うつくしく、やさしく、そしておろか。
 左近の愛する主人はそういう人間だった。 

 屈強な牙の及ばないように甲羅を後ろから掴み、首の根元に包丁の先をめり込ませてそのままぐいと引くと竦んでいた首が面白いほど伸びた。
 途端に溢れかえる血を器に受け、そこに酒を混ぜたものを飲むように三成に手渡す。
 つい先程まで体内を駆け巡っていたそれは澄んで紅く、仄かに温かい。
 たった今目の前で奪われた命の名残は喉を滑り落ちて、胃の腑に達する前に身体に染み渡るのを味わいながら、

 

「すごいな、まだ動いてる。」

 

 首の無い亀がまな板の上で無意に這うのを見付け、三成は目を細めて嗤った。

 三成が杯の残りを舐めるように飲み干している間に、左近は器用に亀をばらしていった。
 細かな肉片に成り果てたそれを鍋に放り込んで蓋をし、煮上がるまでの繋ぎにと主人の手の中にある杯に手を伸ばす。
 三成はそれを許さずに、最後のひとくちを含むとそのまま口移しにそれを左近に与えた。

 

「殿からとは珍しい。」

 

 互いに離れた後の口に中に生臭い匂いが広がる。
 うまく流し込めなかったものがつぅと顎を伝い落ち、それに舌を這わせて舐めとってやる。
 奪った命を酒にして盛るとは、まるで鬼のようだ。
 世間では自分を鬼だという者もあるが、本当の鬼というのは目の前の人のようにとても美しい姿をしているのではないか。
 であるからこそ真に恐ろしいのではないか。
 さてこのまま、と再び口を寄せようとしたところで白い手に肩を押し戻された。

 

「鍋ができた。喰おう。」

 

 ふつふつと湯気を立て、命が煮える音がする。

 

 

 

 椀をひとつ空にして三成は箸を置いた。

 

「美味かった。」

 

 そう言ったのは嘘ではなかったが、もともと食の細いのがここ最近の暑さのせいでろくに食べておらず急に酷使された胃の腑がこれ以上はと根を上げている。
 加えて亀をひとつまるまる煮込んだ鍋のあまりに濃さに目眩すら覚える。

 

「体中が生臭くて叶わぬな。」

 

 まるで自分が亀になってしまったかのようだと笑いながら、口づけをねだってにゅうと伸ばしてくる長い首が、自分が刃を突き立てた亀のそれと重なって左近は柄にも無く怖気立つ。
 誘われるがままに喰らえば、内側から喰い破られるのはこちらの方かもしれない。
 それでも目の前に饗された肉を拒めるほど自分はまだ痩せても枯れてもいないのだ。
 籠った熱を逃す為にこの時は緩められていた襟元を完全に落とし、僅かに上気した首筋に歯を立てると三成は喉の奥から断末魔のような嗚咽を漏らした。
 腕の中の痩身を貪りながら、ふと目をやった先、部屋の隅のまな板の上では命の果ての残骸が異臭を放ち始めていた。

  

  

 
   

     


ここまで書いておいてなんですが、すっぽんは食べたことありません
戦国時代は食べてたのかな。どうなんでしょう
野菜にせよ、肉にせよ、魚にせよ、命を食べるというのは罪深くエロティックだと思います