昔はよく一人で映画を観に行った。
 学生の時にはサービスデーを狙って授業をサボり何本もはしごした。
 社会に出てからは残業帰りのレイトショー。
 体力に余裕があれば週末のオールナイト。
 フロントでポップコーンと缶ビールを買い込み、がらがらの座席にふんぞり返って一人の時間を楽しむ。
 社交的で男女を問わず誘いは断らない左近の、こんな一面を同僚たちが知ったら案外暗い奴だと笑うだろうか。
 もしそんなことになったとしても左近はこの時間を手放す気はなかった。
 ほんの僅か、ひとりきり、別の人生を味わえる時間を。

 それも今はむかしのこと。

 

 

 
 
 レンタルビデオの袋を小脇に左近は家路を急ぐ。
 両手に下げたスーパーのビニール袋は家で待つ恋人の好物ではちきれそうになっている。
 スナック菓子と炭酸水が山と積まれたカゴを見て、レジのバイトの女子高生が笑いをかみ殺していた。左近のようなどこからどう見ても良い年をした会社帰りのサラリーマンが子供のような買物をするのがおかしいらしい。
 これは恋人の頼まれ物だと聞かれもしない事を喋るわけにもいかず、最後に無記名の領収書を頼むことで無言の弁解。

 

 

 

「おかえり。待ってたんだぞ。」


 チャイムを鳴らすと同時に飛び出して来た三成は、左近の手から買物袋をひったくるようにして受け取ると早速リビングのテーブルの上に広げ始めた。
 どうやら待っていたというのは恋人の帰りではなく、ビニール袋の中身のことらしい。
 それでも無邪気な笑顔にほっと、肩の力が抜けてしまうのは惚れた弱味、というやつなだ。
 色とりどりのパッケージの中からお気に入りを二つ三つ見繕うとそれを抱えてソファに沈み込むのと、左近がディスクをセットするのはほぼ同時の絶妙なタイミング。
 やたらと長い新作の予告も三成は律儀に見ている。
 その間に冷蔵庫からビールを取り出して、プルトップを引きながら左近は恋人の傍らに収まった。
 映画は随分前に流行ったものだ。
 孤独な暗殺者と身寄を失った少女の物語。
 監督がフランスで活躍していた頃から左近は気に入っていて、初のハリウッド進出作となったこれも先行上映に駆けつけた。
 それなりに人気があったはずのその作品を三成は知らない、名前も聞いた事が無いという。

 
「でも、左近が選んだのだからきっと面白いんだろうな。」

 
 その言葉の通りに三成は画面に齧りつくように見入ってしまって、そっと髪の毛に回した手にも気付かない様子。
 これ幸いと首筋に唇を寄せると流石に今度はいかにも邪魔そうに振り払われた。
 このまま押し倒してしまうのはとても簡単。
 華奢な手首をつかみあげて、唇を塞いでしまえばすっかり快楽に弱くなった恋人はあっという間にこの手の中に落ちてくる。
 けれど、画面に夢中になる真剣な横顔をこのままずっと見ていたい。
 ストーリーがクライマックスに向かううちに画面の光を映した鳶色の瞳にうっすらと涙の膜がかかってくるのも。
 すっかり食べる事を忘れて薄く開かれたままの口の端にポップコーンの欠片がのっているのも。
 それは左近にとっては映画を見るよりドラマチックな光景なのだから。

 

 

 

 ソファの肘掛けにもたれかかってに寝息を立てる左近を見下ろし、三成はため息をつく。

 
「仕方の無い奴だな。」

 
 エンドロールを待たずして恋人は夢の中。
 そこで続きでも見ているのか、ビールの泡の残る唇が実にあどけなく笑っている。
 左近と一緒に暮らすようになってから、三成は初めて映画を見る楽しみを知った。
 映画くらいいくら浮世離れした生活を送って来た三成だって見た事はある。
 けれどそれが心から面白いと思えたのは彼と並んで見たのが初めてだ。
 純粋なラブストーリーに涙したり、破れかぶれのコメディに大笑いしたり。
 日頃あまり表情を変えない三成がこんなにも感情を映すのを、となりに座って興味深げに眺める左近の視線は実のところ何より心地よい。
 こんな無防備な顔を見せるのは左近にだけだと思っているから、いくら誘われたって絶対に映画館になんて行ってやらないんだと、三成は密かに心に誓っている。
 この大きな身体をベッドまで運び込むのは三成の細腕にはとても無理だ。下手をすればこちらが押しつぶされてしまう。
 仕方が無いので寝室から毛布を運んでかけてやり、大きく一つあくびをして三成は自分も寝床に潜り込んだ。
 一人きりのベッドは広すぎて少し落ち着かない気がしたが、すぐに訪れる夢の中ではきっと左近が待っている。
 いつだってすぐ側にいて自分だけを見ていてくれる彼は、どんな映画の主人公よりもとびきりに格好良い三成のヒーローなのだ。