首化物-くびのばけもの
見慣れた東山の天が薄暮の時を迎えるのをまるで我が事のように眺めた、ところで記憶は途絶える。
頬を撫でる秋風の冷たさに目を覚ました三成はほぅ、と大きくひとつ欠伸をした。
随分長い事眠っていたような気がする。
まだぼんやりとする頭を振って辺りを見回した己を囲むのは石を枕に腐肉を晒す戦友の首だった。
おい、やくろう何をして居るのだ。
幼なじみの名を呼んで手を伸ばそうとしたが身体がいうことを効かない。
そもそも腕というものの感覚がない。
これはおかしいとようよう首をひねり、己の姿を確かめて、あ、と小さく三成は叫んだ。
そういえば己は首を刎ねられていたのだっけ。
どうやら俺は一度死んで、首の化け物になってしまったらしい。
容易に往生できぬ我が身の業の深さをつくづく嘆きつつも、こうしておっては友のように烏の餌になるばかり。
仕方が無いので首は晒されていた高台から自らごろりと落ちて、河原の小石の上に転がり出た。
もはや身体は荼毘に付されて跡形もなかろう。
このように浅ましい姿になり果ててなお天下に号令する気力はなく、憎い狸爺に祟って出たところでほんの一時腰を抜かさせるくらいのもの。
生前は随分と無理をして働いたのだ。
死んだ後くらいは好きにしても差し支えなかろう。
そう考えた首が行く宛に思い浮かべたのは、世にかけがえの無い家臣であり同時に長の情人であった男のもと。
彼ならば己がどのような姿になっても歓んで受入れてくれるに違いない。
この身の余生がいかほどあるのかは知れないが、その全てを彼の元で暮らしたい。
野良犬に噛まれぬように、往来を行く人の足に捕られぬように。
闇に紛れて毬のように転がりつつ、男の通い馴染みであった遊郭にたどり着いた頃には流石の首も疲れ果て絶えたはずの息も上がっていた。
もっとも、疲労を感じたとしてももはや身体をもたぬこの首が感ずるのはあくまで精神の上においてのみ、なのだけれど。
夜も随分と更けた時分、遊女たちは皆それぞれの客と床入りを済ませたのか楽の音も途絶えている。
首は静まり返った廊下を転がりながらひとつひとつの襖の前で中の気配を伺って回わった。
あの男の事ならば、微細な身動きの音、吐く息の音までもよく知っている。
妓楼の奥座敷、一等豪奢な襖の前で首は止まった。
ここに間違いないと見定めた首は勢い着けて襖に体当たりを喰らわした。
がたん、と盛大な音を立てて襖が倒れそれと同時に部屋の中に転がり込む。
中ではいままさに、女の身体に伸しかかった男が絶頂の際を迎えんとするところであった。
自分がこのような目に遭っている時に女を抱くとは。
怒りに任せて首はその男の抜き出しの尻に噛み付いてやる。
懸命に励んでいたところへ思いも寄らぬ撃を受けてぎゃ、と無様に声をあげ、男は身を仰け反らせた。
首もその勢いに跳ね飛ばされて部屋の隅へと投げられる。
何が起きたのか理解が及ばない遊女を床の中から追い出し、すわ敵襲かとすぐに体勢を立て直すところは流石に鬼と呼ばれた男だ。
抜き身を手に辺りを見回す男と首の目が重なり合う。
お前、俺をあれほどに慕っておきながら、死に別れた途端に女にうつつを抜かすとは何事だ。
なじる首に目をまあるくしつつも、男は慌てて取り繕った。
違います、違いますよ、殿。
これはあれです。殿のお弔いをしておりまして、その流れでまあ、なんといいましょうか。お許しください、左近も寂しかったのですよ。
何がどう違うというのだ。
寂しいのはお前の下半身だろうが。
この色情魔。
仮にも主人が亡くなったのだ。
追うて死ねとは言うまいが形ばかりでも喪に服すのが家臣の礼儀というものであろう。
お前と言う男はつくづくだらしのない。
そうは言いますけどね、人の閨の邪魔をする殿も大抵無粋ではございませんか。
まさかそのお亡くなりになった後も、このようなお姿になってまで左近にご執着くださるのは有り難いのですが、左近とて生きておるからには腹も減れば欲も溜まる。
ま、そのようなお姿になった殿にはご理解いただけんでしょうが。
いいや、違うな、あんたは生きてる時からそうだった。
そのおきれいな顔で自分だけが清らかだと、つんと澄ましていらっしゃったから。
言うに事欠いてなんたる無礼。
こうなれば益々お前を放っては置けぬ。終世取り憑いてくれるわ。
首はひょいと男の肩に飛び乗って、それきりいくら強い力で引きはがそうとしてもそこを離れようとはしない。
こうなれば困るのは男の方だ。
女を抱くどころか落ち着いて飯を喰うことも眠ることさえままならない。
部屋に閉じこもり鬱々と過ごす男の耳に首は囁きかける。
なあ左近、俺がいるではないか。
昔のように、いいや、あの時にはふたりきりになることなどついぞできなかったのだから、お前とふたり共に暮らすことができれば俺はこのような醜態を晒しても生きている甲斐があるというものだ。
“俺がいる”ってたって首だけじゃ...ねぇ?
殿はそれでご満足でしょうが、左近の欲は一体どなたが面倒見てくださるっていうんです。
なんだと。首になったとて左近の一人や二人、満足させてやる。
首はひょいと肩から降りて、男の脚の間に潜り込むと舌と唇をもってそこを寛げ、うなだれたものを取り出して含んでみせた。
懸命に舌を動かす首を見下ろして男はやれやれと息をつく。
殿、もうお止めください、殿。
なんだもう満足したか。
違いますよ。
あのね、あんた、下手糞なんですよ。
犬っころみたいに舐め回すだけで、そんなんじゃあぴくりともきやしない。
なっ、そんなはず..だってお前、あんなに何度も。
殿、男っていうのは案外繊細でね。
擦って出すだけだったら自分の手で事足りる。
それを面倒な思いしてまで口説いてようよう床入りっていうその途中がおもしろい...って殿にはわからないでしょうがね。
つまりね、殿、首だけのいまのあんたじゃてんで役に立たないってことですよ。
男はやけくそになって股間にむしゃぶりつく首の脳天から抜き身をぶすりと突き刺した。
目から鼻から口から耳から。どっと、真っ赤な血を噴き出して声も無く首は事切れた。
いいや、とうの昔に事切れていたのがやっとそれに気づいただけのことなのかもしれない。
男は床と己の脚の間を汚したその首をつかみ上げるとそこらに脱ぎ散らしてあった着物に無造作にくるんで、窓の外のどぶ川めがけて投げ捨てた。
まるで五月蝿い野良猫を手打ちにしたくらいの無造作で。
どぶん、と水音がするのを遠くに聞いて、やれやれと男は肩を回す。
これでまた今日からのうのうと眠ることができる。
主君の生前は俺も随分と無理をして働いたのだ。
死んだ後くらいは好きにしても差し支えなかろう。
そんなことを嘯きながら。
リサイクルシリーズその2 あえて行空けなしで 大変読みづらくて申し訳ない
あと毎度のことながら後味悪くて申し訳ない 左近にも申し訳ない
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