「りんがまた身籠った。」
夜着の袖を通さずに羽織りかけたままで、煙管の吸い口から離れた唇が物憂げに呟く。
紫煙の細い糸が暗い天井に消えていくのをなんとなく追いながら左近は、それは祝着、と相づちを打った。
「あれは丈夫な胎(はら)だ。出してやった分だけ孕む。
父などは喜んでおるわ。これで石田の家も安泰だとな。」
秀吉の勧めで迎えた妻のことをそのように言う主人を左近はあまり好きではない。
特に、こうして身体を交えた後にはふさわしい話題ではないのに。
聡く左近の心を読んだか三成は斜に構えたように薄く笑った。
「夫の役目を立派に果たしておるからお前とこのような真似が出来る。感謝せねばならんな。」
「殿、お疲れか。」
「疲れてなど...ただ..」
空しい、と三成は再び煙管に唇を寄せた。
左近には主人の憂鬱の原因が分かっている。
先頃、六条河原で行われた秀次公の妻子の処刑。
三成は秀吉からこの奉行を命じられた。
--俺は病を得たと言って、お前が代わりに見届けて来てくれないか。
一度は受けたものの、その日の朝まで子供じみた嘘までついてだだをこねる主人を左近は布団から引きずり出し、髪を結い直し、着物を整えさせて、その上から甲冑をつけさせる。
--嫌だ。嫌だ。俺は女子供を斬るために武士になったのではないわ。
その通りだ。戦場で兵を斬るのとは違う。不浄の役目だ。
滞り無く成し遂げたところで賛美などされるはずもなく、陰ではやはり狐、血も涙も無いことよと蔑まれる。
これも豊臣の世の安泰の為となだめすかして、馬に乗せ、刑場に着く頃には三成の顔からはなんの感情も浮かんではいなかった。
大八車に乗せられて荷のように運ばれてくる女達。
常ならぬ空気に何事かを悟って泣きわめく赤子。
それらを前にしてもあくまで冷静に刑吏たちに指図をする三成の姿は、物見高く集まって来た人々の目に人外の所行と映ったことだろう。
けれど左近だけは気付いていた。主人の持つ指揮杖が絶えず細かに震えていたことに。
その河原で、三成は子供を斬った。
刑が始まってすぐの出来事だった。ひとりの子供が目の前に繰り広げられる地獄絵図のあまりの恐ろしさに母親の腕を振りほどき走り出た。
刑吏が取り押さえるその前に、子は三成の抜き放った刃の下で小さな屍を晒していた。
「この人でなし!!」
子供の母親らしき女の叫びもすぐに止んで。
自分がやらねばならなかったのだ。それを主人の手を汚させた。
一番愛する人に、一番嫌うことを。
それからだ。
眠れないと言って、三成が頻繁に左近の私室を訪れるようになったのは。
もともと欲の薄い人であったはずが性を渇望する。
それでも、事足りずさらなる果てを求める主人。
薄い身体を酷使し続けることも出来ず、左近は主人に煙草の味を教えた。
初めはむせていた三成も、今では銀の管に這わす指先が様になっている。
--気晴らしになりますよ。ただし、左近のいるところでだけにしてくださいね。
そんな言葉で与えた葉に阿片を混ぜ込んであるのを主人は知らない。
南蛮人の持ち込んだこの薬はしばし浮き世の真を忘れさせてくれる。
閨で用いれば解け合うような交わりを味わうこともできる。
--あまり、お過ぎになりませんように。
あるいは左近のその言葉でその効用に気付いているのかもしれない。
「“人でなし”の子などに生まれれば、人並みの幸福などは望めまいに。」
自嘲に歪んだ美貌の手から煙管を奪って口にする。
罪を重ねることはできても、分け合えるとは思わないけれど。 彼の言う通り幸福などというものは、夢に見ることさえ叶わないだろうけれど。
先程まで彼の口にあった煙は甘く頭の芯を痺れさせ、それは薬のせいだけでは無い気がした。
オチがないまま終わる
お互い妻子もあって、惰性じゃないけど割り切った関係の二人
「りん」は大河・葵の時の殿の奥さんの名前です
こんな風にいってるけど奥さんの前では優しい旦那さまだと思うよ
側室はいなかったにも関わらず子だくさんだったという説を聞きました
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