殺戮は静かに執行される
衝撃的に
電撃的に

 

 

 

 閨を共にした翌朝、三成はたいてい朝餉の刻限ぎりぎりまで床に伏している。
 夜の明ける前に自室へと戻った左近が起こしに行くと、実はもう目を覚まして左近の来るのを待っていて、腰が痛いだの、少しは加減せよだのと文句を言いながら差し伸べた腕に縋って布団から這い出してくるのが常であるのに、今日という日に限っていくら呼べと障子の向こうから返事は無い。
 不審に思い、失礼、と声をかけてから部屋に足を踏み入れれば、三成はこちらに背を向けた格好で未だ褥に身を横たえたままだった。
 殿、おはようございます。朝餉の用意ができておりますぞ。
 耳元に囁いても微動だにしない。
 起きてくださいませ、殿、殿。
 さてもこのお方に限って随分と深くお眠りになっているものだと左近は珍しく思ったが、積もる執務の予定もありこのまま寝かせておく訳にもいかない。
 白絹の夜着に包まれた肩に手をやってこちらを向かせようとぐい、と引くとまるで丸太の転がるように三成の身体は仰向けに返り、天井を向いたその顔に左近は息を飲んだ。
 まさか。まさか、そんなことがあるものか。
 おそるおそる口の辺りに顔を近づけてみる。
 布団を引きはがし胸の辺りに耳を当ててみる。
 そこに生の痕跡を感じ取る事は出来ず、目の前の主人は全く、完全に、死に絶えていたのだった。

 

 

 

 すぐに呼ばれた医師は、脈を取り、瞼をこじ開け、様々に検分した挙げ句にこう告げた。
 まことに残念なことではありますが、このお方は既に亡くなられています。
 おそらくは夕べ、お眠りになっている間に心の臓が麻痺をおこされたのでしょう。
 この穏やかなお顔。ほとんどお苦しみにはならなかったはずです。
 医師の見立てを、左近はにわかに信じる事はできなかった。
 呼吸が戻る事は無く心の臓は鼓動を止めているにも関わらず、三成の肌は昨夜愛撫した時のままに瑞々しく、うっすらと開かれた唇は吸い合った時のままに紅い。
 長い睫毛の奥に切り込みを入れたような半眼はいささかも濁る事無く涙の膜をたたえて空を見つめている。
 つまり、見た目にはまったく生前と変わらぬ姿を保ち続けているのだ。
 このことについては医師もまた不思議に感じていたらしく、このようなお人は見た事が無いとしきりと首を傾げていたが、待てど暮らせど三成が息を吹き返すことはなくこれはやはり死んでいるということに落着した。
 しかし左近にとってみればそんなことは到底得心いくはずもない。
 しるべき葬儀をと言われたところでまるで生ける人形のごとくに眠る三成を火の中に投じることなど思いも寄らないのだった。

 

 

 

 万が一にも、と言い縋る左近の懇願によって三成の身体は城の奥座敷に寝かせ置く事となった。
 それからひとつき、ふたつき、みつきと時を重ねても、昼間でも日の差さない薄暗い部屋の中で三成は相変わらず眠るように在る。
 左近は暇を見てはそこへ訪れ三成の好きな香を焚き、彼の笑った音曲を奏で、時にその傍らへ添い寝した。
 睦言を囁き合う事はできなくとも、床の上に投げ出された手にそっと自分のそれを重ねればほの暖かい体温と弾力を感じる。
 身体を重ね合う事はできなくとも、枕に散らばったままの柔らかな髪を梳れば三成の表情はいくらか緩んむように思える。

 
 
 時が止まったような日々が流れいくそんなある日。

 

 三成の着物を取り替えようと掛けていた布団をめくり上げて、左近はふと彼の胸元に目を止めた。
 ちょうど着物の合わせ目の辺りがこんもりと盛り上がっており、何か虫でも入ったかとはだけてみれば、白い胸の真ん中、鳩尾の辺りの皮膚が小さく隆起していた。
 赤みは無く、触れてみても熱を孕んでいる訳でもなく、固くもなく、柔らかくもなく。まるで、三成の身体がそのまま形を変えて突起したような感触。
 左近が一番に恐れたのはこの肉体の腐敗であったのだけれど、どうやらその兆候でもないらしい。 
 さりとてどのように手を施して良いのかもわからず日を置くうちにそれは植物の若芽が成長するように天井に向かって伸びていった。
 そうなっては布団をかける事も、着物の前を閉じる事も出来ない。
 奇異に変形した肌をさらけ出して眠る主人に慌てた左近は、仕方なく再び医師を頼る事となった。

 

 

 

 三成を診た医者はまず数ヶ月前と何ら変わらない肉体の様子に驚いた。
 早馬に呼ばれたあの日以来、三成は腐敗するどころか衰弱した気配も見せず、永久を眠り続けている。
 気を取り直してその胸に触れた医師は、うん、と唸ったきり顎に手を当てて黙してしまった。
 殿のお身体はどうなってしまうのだ。
 また分からぬと言うのならお前のような役立たずは斬って捨て呉れる。
 焦れていきり立つ左近をじっと見上げて医者は重く口を開いた。
 心当たりはございます。それにはあるものをお見せせねばなりません。
 今から家に人を取りにやってもよろしゅうございますか。
 使いの者が持ち帰って来たのは漆塗りの小箱だった。
 ご家老様はこのようなものをご存知ですか。
 医者が蓋を開けた箱の中に示してみせた物はなにやら乾いてしなびれた茸のようなものだった。
 薬の調合に使う草の一種かと手に取ってみれば、奇妙なことにその根元にあたる部分には蝉の幼虫がぶらさがっている。
 なんだこれは。
 よくよく見ればぶら下がっていると思えた幼虫の、背を割ってそこから茸とおぼしき植物が生えている。
 なんだこれは。虫なのか、それとも草なのか。
 そのどちらとも、でございます。
 これは冬虫夏草と申しまして、茸の一種なのです。
 明の国では大変に珍重されて幻の秘薬とされているのだそうで。
 その名が示す通り、冬の間は虫であったものが夏になれば草と化すのだと申しますが、なに、その実は土中に眠る幼虫に茸の菌が宿ってその身を蝕んだ果ての姿なのでございます。
 そこまでを語って医者は三成の方に目をやった。
 お殿様もこの冬虫夏草に取り憑かれたのではありますまいか。

 

 虫に憑くはずのものが人に憑いたという話は古今東西私の知る限りにはございません。
 しかし、他にこのお身体の状態を解する術が無いのです。
 くれぐれもお間違えくださいますな、ご家老様。
 真にお殿様は亡くなっておいでです。
 ご遺骸の生けるが如くはひとえに取り憑いた菌のせいなのです。
 菌が自ら生きる為に宿主を腐らせぬよう保っているだけなのです。

 

 医師の去った部屋で左近はじっと横たわる三成を見つめていた。
 この雪のように清らかな皮膚の奥で目には見えぬ無数の菌が息づいて、主人の肉体を蝕んでいる。
 姿形は主人のものでも、中身はまったくの別物になってしまった。
 それこそ、虫が草に変わるように自分の手からこぼれ落ちていってしまった。
 左近は主人の胸に手を伸ばしそこから生えた茸を根元から手折った。
 たいした手応えも無く宿主の身体を離れたそれを一欠け口に含んでみる。
 くしゃり、と前歯にあたる繊維質。
 茸は人の肉に一番近いのだとどこかで聞いた事がある。
 極めて特異な環境から生じたはずのそれは特別な匂いや癖があるわけでなく、しかし平素口にするものに比べれば舌の上に広がる味は蒼く清々しく、どこか仄かに甘く、これが主人の肉体を喰らって育ったのであるのならばそれは至極当然の事と左近には思われた。

  

  

 
   

     


オチの無い話ですみませんでした

  

追記:「冬虫夏草」と呼ばれるバッカクキン科の茸の胞子はその宿主となる虫を、苦痛を与える事無く瞬間的に殺すのだそうです。
 等間隔に列をなしたままの蟻や、尺取り運動の格好のままのシャクトリムシから生えている例もあり、それらは自身が死んだ事にも気付いていないかのようです。
 寄生された虫は菌により処置を施されミイラ化して菌の苗床となります。
 名前では「冬は虫、夏には草」ですが、実際には茸が育つまで半年どころか5、10年はかかります。
 茸の本体はご存知のように菌糸がより集まったものですが、茸自体は植物でいえば花の部分、子孫を残す為の生殖器官にあたるのです。
 それ故にドイツの古い厳格なおうちでは「女の子が“私きのこが好き”などと口が裂けても言ってはならない」と躾けるとのこと。
 まさにエロスの塊!

(以上、杉浦ヒナ子先生「呑々.草子」より)