『獣の歌』

 

  

 

 王様とその家臣の男はもう気の遠くなるほど、荒野を歩き続けていました。
 王様の国は隣の大国との戦に敗れ、王様は寸でのところで家臣に助けられてその身ひとつで逃げ延びて来たのです。
 

 お城がどうなったのか。
 残して来た家族は。
 自分たちを逃す為に身を挺して敵を防いだ家来達は。

 今となってはいくら考えても仕方の無いことでした。
 駆け通しに駆けて来た馬はとうに乗り潰し、二人の食料となりました。 
 それまでろくに外を歩いたこと等無い王様の足はひび割れ、荒れ放題に伸びた草が無数の擦り傷を付けました。
 王様のことを何よりも大切に思っていた家臣は、奇麗な王様が傷つき汚れて行くのを見ているのがとても辛かったのでしょう。自分が馬にならんとばかりに王様を抱上げるとそのまま荒野を歩み続けたのです。
 家臣はその大きな身体で昼は強い日差しの熱から、夜は夜露の寒さから、王様を守りました。
 そんな逃避行にもついに限界が訪れました。
 王様を支えて来た家臣が倒れたのです。
  
--王様、俺はもう歩けません。ここでお別れです。
  
 やっと見つけたオアシスの木陰で、横たわったままの家臣はかすれた声で言いました。
 彼は決して口には出しませんでしたが、身体の大きな家臣の方が余程疲弊していたのです。
 
--どうぞこの身の肉を喰らい、血を飲み、あなたの糧としてください。
 
 そんなことはできない、と王様は悲痛な面持ちで言いました。たった一人の家臣のお前がいなくなったら私は王でなくなってしまう。そんな男にお前の亡骸を喰らってまで生き延びる価値等ない、と。
 彼との別れは身の引き裂かれるような思いでしたが、水分の無いせいか涙もでません。
 
--いいえ。俺はあなたが王でなくともこうして共にありたいと願ったでしょう。
 最後まで願いが叶い、俺は幸せです。
 
 それきり家臣は目を閉じ、その瞳が開かれることは二度とありませんでした。
 しばらくの間、王様は家臣の亡骸の側を動こうとしませんでした。家臣の身体を抱き締め頬をすりよせては帰らぬその人を慕って悲しみに暮れておりました。
 しかしいつまでも嘆いている暇はありません。荒野に住み、死肉を喰らって生きるハイエナが、禿鷹が、その死臭を嗅ぎ付けて寄ってきます。
 昼はその手に唯一残された短刀で、夜は松明をもって王様は家臣の亡骸を守ろうとしましたがそれにも限りがあります。
 とうとう王様は、苦しみぬいた末に家臣の残した言葉を実行に移すことにしたのでした。
 
  

 

 

 
 一人になった王様は旅を続け、やがてある村にたどり着きました。
 王様が最初に出逢ったのはひとりの娘でした。
 娘は大きな瓶を頭にのせ、水を運ぶ途中のようでした。
 王様は久方ぶりの人の姿にうれしくなり声をかけようと近づきました。
 しかし娘は王様の姿を見るときゃあと叫び声をあげて逃げ出して行ってしまったのです。
 長い放浪の末、随分と見た目は荒れてしまったとはいえ、まるで化け物にでも出逢ったかのような娘の驚き方に王様は不思議に思いました。
 やがて、先程の娘が呼んだのか村の屈強な男達が手に武器と縄とをもって駆けつけてきました。
 せっかく家臣の残したこの命。殺されては叶わない。
 王様は恐ろしくなり、何故このような仕打ちを受けるのか納得のいかぬまま、それでもおとなしく彼らの縄にかかったのです。
 その夜、村では宴が開かれました。
 捕われた王様は檻に入れられ広場の中心に引き出されました。
 村人達がその周りを取り囲んでは口々に何かを言っています。
 村人達の話す言葉は王様にはわかりませんでしたが、物珍しそうに自分を見る無遠慮な目線に晒されるのは大層不快でした。
 この期になっても王様は初めて訪れたこの村で何故自分がこれほどの目に遭わされなければならないのか、想像もつかなかったのです。
 宴も終わりかけた頃、村の長老とおぼしき老人が檻に近づいてきました。
 
--旅の人。

 
 長老はカタコトの言葉で王様に語りかけました。
 
--貴方は人の肉を喰らったのですね。

 
--俺は、俺はどうなったのだ。
 何故皆、俺を避けるのだ。
 このような恥辱を受けねばならぬのだ。
 
 王様は長老の問いかけには答えずに声を荒げてわめき散らしました。
 その様子を離れて見ていた村人達がびくりと肩を揺らし、さざめき合うのがわかります。
 
--まだお気付きにならないのですか。
 
 長老の声はあくまで穏やかでした。
 
--貴方には神の罰が下ったのです。
 私の話すこの言葉は獣のものです。
 村人達の話す言葉を、貴方はおわかりにならなかったでしょう。
 今の貴方のお姿は半分は人、半分は獣なのです。
 ですが、遅からず本当の獣と成り果てるでしょう。
 
 王様ははっとして我が手を見ました。そこあったのは指輪のはまった白い指ではなく、長く伸びた爪と長い毛の生えた狼のような脚だったのです。
 ぎゃあ、と叫んだはずの声も獣の咆哮となって広場に響き渡りました。
 王様は檻の中で我が身を抱いて悶え苦しみました。その様は手負いの獣が暴れ狂う姿そのもので村人達を余計に怯えさせただけだったのでした。
 王様はその時になってやっと自らの罪の深さに気がつきました。
 理由がなんであれ、人が人を喰らって生き延びることなど許されるものではなかったのです。
 そして、王様は己の本性が獣のそれであったことを思い知ったのでした。

 

 

 

 
 翌朝、王様は檻のまま村から遠く離れた山中に運ばれ、そこで放たれました。
 檻から出た王様の姿はもはや人の名残もなく、全身を真白な毛で覆われ、長い尻尾と鋭い牙と銀の目とをもった一匹の獣でした。
 村人達はその美しさにため息を漏らしながら、獣が森深く消えて行くのを見守ったのです。
 獣になった王様がその後どこへ向かったのか、知る者はおりません。
 ただ時折、山の麓の村では何とも知れない獣の哭く哀切な声が聞かれるのでした。

  

   

 

  

  

   

 

  


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