はつ恋
 

 

 

 
 父に付いて出た戦場で、貴方を見かけたのは私がまだ何も知らない少女の頃。

 
 真っすぐに真っすぐに、ひたすらに槍を振るう姿が眼裏に焼き付いて、それが長い長い恋の始まり。

 
 それから私もいくつかの戦に出たけれど、私の髪が伸びるにつれて、私の身体が丸みを帯びるにつれて、

父は次第に私を血の匂いから遠ざけた。

 
 やがて私にも縁談の話が来た。お相手は、貴方のお兄様。

 
 これで本多の鬼姫も少しはおとなしゅうなると父は安堵のため息を漏らす。

 
 私の手から弓は取り上げられ、矢の代わりに与えられた針と糸。

 私はもう貴方の戦う姿を見ることが出来ないけれど、悲しむことは無い。

 戦うことを生け贄にして私は貴方の血脈の側で生きることができるのだから。

 
 時が過ぎて、この国を二つに割る大きな戦があって、貴方はそれを生き延びて、

今度はお兄様と、今は私の旦那様である人と敵味方に分かれて戦うことになった。

 
 私を止めた父ももうこの世に亡い。

 
 旦那様に無理を言って私も戦に出ることにした。

 
 久方ぶりに立つ戦場はやはり心地よい。

 
 馬の嘶き。鎧の鳴る音。刃物のぶつかり合う響き。

 そのすべてが混ぜ合わさって、これから死にいく者のために美しい楽を奏でるの。

 
 対峙した貴方はいくらか大人になっていたけど、初めてあった時と同じまっさらな目をしていた。

 
 変わってしまったのは私。

 
 幾多の諦めを踏破してやっと貴方に会いに来た。

 
 突進を命じる法螺の音が響き、貴方が先陣を斬って駆けてくる。私に向かって真っすぐに真っすぐに。

 
 殺せるものなら殺すがいい。私は思う。

 
 私が弓をつがえるよりも早く、ただその槍で、この胸を貫けばいいのだから。

 
 でもきっと貴方はできない。貴方は私を殺せない。

 
 私は疾走してくる馬の前に立ちふさがった。

 
 何年も触れていなかった大弓は、離れていた時を忘れたかのように手になじむ。

 全身で弦を引き絞り、私は貴方に照準を定める。

 
 私は待っていたの。ずっとずっと待っていたの。貴方のまなざしに正面から向き合うこの時を。

 
 貴方の額に向けて放った矢は、眉庇を割り、貴方の身体は疾走する馬から転がり落ちた。

 
 主人を失った馬が風となって私の脇を駆け抜けて行く。

 
 私の矢で地に縫い止められた貴方の身体。

 既に魂を失って閉じられること無くぽっかりと見開いた目はやっぱり透明に澄んだまま、

夏の空の青をそのまま写してまるで小さな海のよう。

 とてもとても、奇麗。

 私は貴方の首を刈り取った。

 
 返り血にまみれて帰陣した私にみんなが道をあける。

 
「旦那様、稲、ただいま戻りました。」

 
 まだぬくもりの残る首を差し出して私は言う。

 
「真田原二郎幸村が首にございまする。」

 
 旦那様はとても驚いていたようだけど、たくさんのご家来の手前、やっとねぎらいの言葉を絞り出す。

 
「う、うむ。ようやった。そなたに討ち取られたのであれば、我が弟も満足であろう。」

 
 首だけになった貴方の瞼はもう閉じられていて、あの澄んだ海はどこにも無い。

 
 貴方の瞳がこの世で最後に見たものが私であることにとても満足して、私の長い長い初恋はこうして成就した。

  

   

 

  

  

   

 

  


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