あなたはわたし わたしはあなた
初めそれは小指の先程の赤い斑点で、左近のひだりの肩のちょうどてっぺんに張り付くようにしてあった。
虫に刺されたにしてはかゆみも無いし、妓に付けられた吸い跡かとも思ったが幾日を経ても直る気配はない。
それは日を追う毎に大きくなり、半月もした頃にはこぶし大に腫れ上がった。
痛むわけでもないので左近は放っておいたが、
「これ、気味悪るおすなあ。」
床を共にした妓にそう言われてなんとなく鏡を見てみた。
瘤はまた少し膨れ、なんとなく人の顔のような窪みが出来ている。
確かに気持ちのよいものではない。明日にでも町医者を呼んで診せよう。
そう思ってその夜は床に付いた。
左近は独り寝が好きだ。
どんなに深く女と情をかわした後で新たに床を延べさせて一人で眠る。
左近が抱いて眠った人はただ1人。彼はもういない。
...こん...さこん。
夜半過ぎの頃だ。
名を呼ばれて左近は目を覚ました。
聞き知った声だ。
求めていた声だ。
けれどそれが今生で聞かれるはずはもうないのに。
...さこん..さこん..。
「殿!!」
飛び起きて辺りを見回すが部屋には人の気配はない。
「殿!いずこにおわすか!左近にお姿をお見せください!!」
それは今は九泉の下に眠る彼の主人の声だった。
主人が関ヶ原の戦で敗れ、京の河原で首を斬られた。左近がそれを知ったのは全てが済んだ後だった。
全身を朱に染めながらも落延びた先で介抱を受け、意識を取り戻した時には何もかもが終わっていた。
河原に晒された首も、遺骸を引き取った寺が建てたという粗末な墓も、左近は見ていない。見たところできっとそれを主人のものと認めるはずがないことは、左近自身が一番良く知っている。
残された命を左近は持て余した。
主人無き世を生きる気力は無く、さりとてせっかく拾ったこの命、今さら死ぬのは惜しい。
ただ醜く老いの生にしがみつきその日その日を怠惰に浪費する左近を、主人はどのような顔で嘲るのだろうか。
幻でも良い。
のたれ死にする前にあの怜悧な美貌を再び見たい。何度、そう願ったことか。
だからその声を左近は信じた。
..さ..こん。さこん。
声は近くから聞こえてくる。
近く。近く。そう、耳元に囁きかけるように。
「殿...?」
声を発しているのは、肩の上の瘤だった。
恐ろしい、と思うよりも歓びの方が勝った。
医者に診せることは止めた。妓も寄せ付けなくなった。
瘤は日々成長した。
ひと月が過ぎて、左近の頭の隣にはもう一つ頭が出来あがった。
それはもう瘤と呼べる物ではない。
「殿...。」
左近の願った主人そのものがそこにある。
肩を起点にして身体までが変わっていく。
左の腕は指先までがすっかり別物になっていた。
左近の日に焼けて、幾多の切り傷のある褐色の皮膚とは違う白い腕。
頭も腕も、生きていた。
左近の意思とは関係なく言葉を発し、動く。
かつての主人の姿そのままに。
左近が部屋にこもるようになってから随分たつ。
膳だけを運ばせて姿を現さない左近を妓も楼主も怪しんだ。
ある者の言うことには一人であるはずの部屋から話し声の漏れることがあるという。
左近のものと、もう一つ。涼やかな男の。
声は嗤い、囁き合い、睦言を重ねて、時には嬌声すらあげるという。
このお人もついに気が触れたに違いない。
かつて馴染み客だった所以もあって左近をかくまっていた妓楼の主人も、店に悪い噂がたつ前にと愛想を尽かせた。
左近は花街にいられなくなった。
瘤を荷物のように布に包んで隠し、夜を伝って都をさまよい歩いた末、野辺の果ての打ち捨てられた荒れ寺にたどり着いた。
ここを新たな住処としよう。
この方とこうして一つ身の内にある限り、何の不自由も感じない。
頬に触れる柔らかな髪を撫でながら左近は幸せだった。
ふぅっと生暖かい吐息が左近の耳朶をくすぐる。
いつもすぐ側に顔を寄せていられるのはうれしいのだけれど、ひとつだけ不便なことがある。
近すぎて上手く口吸いができないのだ。
互いに首をねじ曲げ、やっと触れる舌先がもどかしい。
つん、と舌先を伸ばしちろちろとくすぐり合っていると、口の端から垂れる唾液がどちらのものとも分からないまま混じり合う。
この頃には左近の身の大半はもう、左近の物ではなくなっていた。左近に残されているのは頭と、右の腕、右の肩、胸の周りのわずかな部位。
交わり合うのにそれだけで十分だった。
もはや同体となった二人は多くを必要としない。
主人の細い指が性器に絡み付く。自慰をながめているようで左近は昂る。
拙い動きに、彼の手の上から自らのそれをかぶせ快楽を導いてやる。
茎の付け根、袋に繋がる窪みの辺りを爪先をめり込ませ、そのまま先端まで掻いてやると半身はぶるぶると震えた。
手管に長けた左近にすっかり身を任せて震える様は以前と何ら変わらない。
耳元で吐かれる熱い息の中に懇願が混じり始めても、容易には解放してやる気はない。
この身になってことさらにじっくりと交合を楽しむようになった。
できることは限られているのだから、そのひとつひとつを味わい尽くそうと左近は考えている。
主人がついに涙をこぼして嗚咽を漏らし始める頃になってやっと左近は果てを許した。
勢い良く飛び散った精が青臭い匂いを辺りに漂わす。
生きている、と左近は思う。確かにこの身は生きている。
吐き出されたものを左近の指が掬い取り、うなだれた性器の奥の窄まりに塗り付けていく。
きつく閉じた襞を揉み込みながら解されても、脱力した主人はされるがままになっていた。
人差し指の先をほんの少しだけ差し入れると、やっと我に返ったように主人が肩を跳ねさせた。
そのまましばらく、浅く抜き差ししていると焦らされていると思ったのか主人は子供じみた動作でいやいやと首を横に振る。
その度に髪がぱさぱさと音を立てて首筋をくすぐった。
愛らしいその様に求められるままに左近は指を根元まで埋めてやる。続いて間を空けずもう一本。
主人の中は温かく柔らかく異物を受入れた。指先に感じる内臓の感触を楽しみながら左近はすぐにその場所を探り当てる。
「殿はここがお好きでしたな。」
間近の表情を確認しながらそこを引っ掻いてやると首がぐん、と撓った。
「左近のもので愛でて差し上げたいのですがもはや叶いません。
せめて存分にお慰めいたそう。」
指を3本まで増やし、ぐちぐちと盛大な音を立てて蹂躙する。
主人の指は再び性器を弄んでいる。
ほとんど無意識に先端だけをこね回す即物的な動作。
視線を空に漂わせ、短い喘ぎの間のうわ言に主人はひたすら左近の名を呼んだ。
滂沱の涙に濡れた頬に自分のそれを寄せ合わせて左近はいっそう激しく責め立てる。
喉の奥で声にならない悲鳴があがり、内壁がぎゅっと左近を締め付けた。
とめどなく欲望を吐き出しながら白い腹が痙攣している。
事後の収縮を繰り返す秘所からそっと抜き出したその手で左近は半身を強くかき抱いた。
その後の話。
京の街で石田三成に似た男を見たという者が現れ始めた。
どうせ偽物であろうがやっと収まりかけた世にそのような者が居っては怪しからんと密偵が遣わされ、探査をしてみたところすぐにそれらしい人物が見つかった。
男は陽炎の立つ路地端、何心無い様でぼんやりと座り込んでいた。
辺りの者に聞いてみればもう随分前からこの辺りをふらふらと彷徨っているのだという。物売りが道に捨てた野菜の端を拾って喰い、水たまりの泥水を啜って、あれはただの物狂いだ、と。
男の髪はざんばらに乱れ、着ている物も垢にまみれて身の丈に合っていない。
ただ、裸足の指の、女のように小さくたおやかな様が密偵の心を引いた。
密偵は男のそばに寄り声を顰めて問いかけた。
「お前は“何”だ。」
老人のようにしわがれて答えるその声の言うことには、
“俺は島左近だ。”
なんじゃこりゃー
最初は人面瘡とか杉浦ヒナ子先生『百物語』の人茸みたいなイメージだったはずなのですが
後味悪くて申し訳ないです
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