ねえ、マスター、なぜコーヒーがふたつあるの?
私はひとりよ。やっとひとりになれたのよ。
ああ、貴方には見えるのね。あの人の姿が。
あの人、まだ私の側にいるのね。
私を放してはくれないのね。
ねえ、マスター聞いて。
あの人を殺したのは私よ。誰も信じてくれないけれど、それは本当なのよ。
私はただ、自由になりたかっただけ。
生まれてからこの方、一度だって自由になった事なんてなかった。
小さい時に養女に出されて、知らないおうちで好きでもない歌を歌って、踊りを踊って育ってきた。
私ね、本当は人前に出るのが苦手なのよ。
ステージに立つ前はいつも緊張で頭ががんがんして吐き気が止まらなかった。
あの人は、その時のお客の1人。
私にもう踊らなくていいって言ってくれたの。
私を好きだと言ってくれる人はたくさんいたけど、みんな、君の歌声は天使のようだとか、君の踊りは天女が舞うようだとか、私の気持ちの知らないで勝手な事ばかり。
だから、そんなふうに言ってくれたのは本当にあの人が初めてだったのよ。
でも一緒に暮らし始めてみたらあの人、ひどく嫉妬深くてね。
私をおうちに閉じ込めてどこへも出さないの。
仕事も辞めてしまって四六時中私を監視しているのよ。
そのうち自分が知らない間に、そんな時間なんて全く無いのに、私が浮気してるんじゃないかって言い出して、仕舞いには養父とも寝たてんだろうって。
ね、おかしいでしょう。普通に考えたらそんなはず、ないのにね。
私はひとりになりたかったの。
誰も私を知らないところへ行きたかったの。
だから、私、あの人を。
なのになんで、死んだ後までこんなふうに。
お願い、もう、私を放っておいて。
私をひとりにして。
こんな私を見てあの人、どんな顔をしているのかしら。
ねえマスター、貴方には見えるんでしょう?
笑っている...の?
あの人本当に笑っているの?
そういえば私、あの人がどんな顔をして笑うかなんて知らないのだわ。
ずっと、長いこと一緒にいたはずなのにね。
  

 
  
 
マスター、何故コーヒーがふたつある?
俺はひとりだ。やっとひとりになれたんだ。
貴様には見えるのか、あの女が。
あの女、見かけによらず随分としぶとい。死んでも俺を許す気はないのだな。
マスター、俺は人を殺したぞ。誰も信じないがあの女を殺したのは俺だ。
俺はあの女を愛していた。今だって、多分。
出逢ったとき、あの女はステージの上で歌っていた。
歪みすぎて泣いているんだか笑っているんだか分からない顔をして、精一杯に声を絞り出していた。
派手なだけで安っぽいドレスも、強すぎて焼き殺されそうなスポットライトも彼女には不釣り合いだった。
まるでスズメが孔雀の羽を着せられているみたいな様がとても見ていられなくて俺は言ったんだ。
もう無理をする必要は無いんじゃないかって。
それをきっかけに女とつき合い出して、長くかからないうちに一緒に暮らすようになった。
あの女はいつも怯えていたんだ。
いつか歌えなくなる日がくる。
いつか踊れなくなる日がくる。
いつか誰も自分を見てくれなくなる時がくる。
いつか皆私を忘れてしまう。
バカなことだ。
あれほど無理に無理を重ねて立っていたステージを今さら恋しがるなど。
それに、女が降りたステージにはもう違う踊り子が立っている。
あの女より若くて、歌も踊りも上手くて、なにより頭が足り無いんじゃないかと思うくらいに曇りの無い微笑みを見せる娘が。
女は俺に側にいろと言った。決して離れるなと。
仕事をしていてもひっきりなしに携帯が鳴る。
疲れて家に帰ればスーツの裏地まで剥がして俺が浮気していないか調べる。
いい加減うんざりしていたんだ。
そこにきて、俺が見たものは何だったと思う?
あの女、俺の留守のうちに自分の育て親を引っ張り込んでいたのさ。
喰ってかかる俺にあいつは言ったんだ。
貴方が悪いのよって。貴方が私から目を離すからって。
お願い、私をひとりにしておかないで。ずっとずっと私だけを見ていて。
俺は女の願いを叶えてやる事にした、彼女がもう怯えなくともすむように、などと言ってみたところで結局は俺自身があの女から逃れて自由になりたかっただけなのかもしれない。
なのに、結局は死んだ後もこの様とは、あの女、余程ひとりになりたくないのだな。
マスター、あの女はどんな顔をしている?俺には見えないんだ。
なに笑っているって?
あの女の、本当に笑った顔なぞ俺は見た事がない。
随分と長いこと一緒にいたはずなのだがな。

 

 

なぁ紀之助、なんでこのテーブル、コーヒーがふたつ出ているんだ?
これから誰か来るのか?
客なんて俺の他に一人もいないじゃないか。
世間は夏休みにもかかわらずここはお盆も絶賛営業中か...ま、静かに過ごすには丁度いいけどな。
お盆と言えば、知ってるか。
この近くに幽霊屋敷というのがあるらしい。
俺も最近人から聞いたんだ。
もう誰も住んでいない廃屋なんだがな、夜になると人気の無いはずの窓に男女の影が、ぼぅ...っと。
どうやらそこでは何年か前に殺人事件があったのだ。
左近に話したら随分前に新聞に小さく載ってるのを見たことがあるような気がするって。
殺人事件ていうけどな、恋人同士の別れ話がこじれての無理心中らしいぞ。
どっちが先に手を出したのかわからないけど二人とも台所にあったナイフで滅多刺し。
血まみれの死体は二人ともなんともいえない顔で満足げに笑っていたんだってさ。
これで相手は自分のものだって思ったのかな。
誰にも渡さないって。
ずっ
ずっと、誰にも邪魔されず二人きりだって。
そういうのって、愛してるっていうのとは違う気がするんだよな。
最初は普通のカップルだったんだろうけど...どこからかおかしくなっちゃってたんだろうな。本人たちの気付かないままに。
紀之介、これ、俺が飲んでしまっていいかな。
冷めてしまったら美味しくないだろ。
珈琲は煎れたてを飲めってお前いつも言ってるじゃないか。
冷めたものは元に戻らない。
温め直したとしても、それはもう、元の煎れたてコーヒーには戻らないんだ。

 


 
 

 

  

   

 

  

  

   

 

  

 補足になりますが、冷えたコーヒーについて殿の言っている事は間違いです
いい豆から煎れたコーヒーは冷えても美味しいのです
でなければアイスコーヒーなんて出来ません
ただ、真実いい豆を使って煎れたものならば、の話なのですが

三国+戦国=おろち!で現パロでした
一体どこに照準を合わせて書いているのか分かりません
毎年好例のお盆幽霊話。今年は多分本物
カフェ・ド・関ヶ原にはいろんなお客様がいらっしゃいます
大谷さんは霊感強そうな
本人が化けて祟るくらいだからねぇ