湯気のあがるみそ汁に炊きたてご飯、ふかふか出汁巻き卵、新鮮アジの開きに小鉢と、正面に座って主人の食事を見守る過保護の家老。
 それがいつもの石田家の朝食風景だった。

 
「殿、きちんとひじきもお食べください。」

 
 箸を持った手の甲でそっと小鉢をのけようとしたのをめざとく左近が注意する。

 
「いっ、言われずとも今食べようとしていたところだ!」

 
 朝の膳に洩れなく左近までついてくるようになったのは、食の細い上に好き嫌いの激しい主人の身体を心配しての事なのだけれど、当の三成にとっては良い迷惑である。
 食とは一人で物思いに耽りながら静かに進めるもの。
 考え事などしているから箸が進まぬのであるが、このように見つめられては心置きなく好き嫌いが、ではなく食事ができではないか。そう言って抗議したがこの家老はでは左近が食べさせて差し上げますと箸を取り、あーんなどとのたまったので渋々同席を許すことで双方譲歩した。

 
「海藻は髪に良いのですよ。殿のふわふわ猫っ毛は大変可愛らしくてその触り心地たるや左近に至福の一時を与えてくださるのですが、柔らかい毛は将来禿げやすいのです。今のうちから策を練って備えねば。」

 
「そうなのか!?それは..困る..。」

 
 最近膳に一品は海藻物が出てくるのはこの男の策だったのかと三成は感服し、無視するつもりだったひじきの煮物に箸を伸ばした。
 そういえばこの前会った父の髷も随分細くなっていた。兄もまだそれほどの年ではないけれど抜け毛が気になるなどど言っていたっけ。
 石田の家系はどうやら頭髪に関しては決して恵まれているとは言い難い。

 
「左近の髪は何時見てもつやつやとしているな。それも海藻の効果なのか?」

 
「そうですねぇ、特に何もしてはおりませんが遺伝というやつですかね。
 俺はきっと禿げずに総白髪タイプですよ。」

 
 遺伝、と聞いて三成は不安になる。

 
「左近は..禿げた俺は嫌いか?」

 
 椀を膳に戻し、小首をかしげておずおずと問う主人の姿は朝っぱらから左近の庇護欲を大いに刺激した。
 この愛らしい生き物に、嫌いか?なんて聞かれてはいそうですと答えられる者がこの世にいようか、いやいるはずがない。本当は沸いて出るほどいるのだけれどそれを左近は片っ端から斬り捨てる覚悟でいる。

 
「好きです!禿げてようが水虫だろうが痔だろうが左近は殿をお見捨て致しません!!」
 リキの入りまくった左近の愛の告白に部屋の外では控えていた小姓がびくり、と肩をふるわせていた。

 
「そこまでは言うておらぬわ!俺は(今のところ)禿げでも水虫でも痔でもない!!」

 
 膳を押しのけて抱き締めんばかり鼻息も荒い顔面に扇子で一撃を喰らわすと、畳に沈んだ左近をよそに三成は食事を再開しようと椀を手にしたのだが。

 
「う゛っ...!」

 
 突然胃からこみ上げてくるものに口元を押さえ、厠の方向に走り去る三成。

 
「殿...!もしかして!」

 
 扇子型の痣をくっきりと額に残しながら、左近はその後ろ姿を呆然と見守った。

 

 

 

 

「うー...気持ち悪い。」

 
 ふらふらと足取りで真っ青な顔をした三成が部屋に戻ると、そこに左近の姿は無かった。

 
「ん?白湯でも持ってこさせようと思ったのに、肝心な時に役に立たない奴だな。」

 
 仕方が無い、と自らで小姓に声をかけようとしたその時。
 外の廊下をバタバタと近付いてくる足音がある。

 
「殿!おめでとうございます!!」

 
 それこそめでたいかけ声とともに左近が手に一杯の荷物を抱えて襖を開け放った。

 
「左近?それは一体。」

 
「何ぶん急な事でしたので今はこれしか。足り無いものはすぐに用意させますゆえ。」

 
 さあ、と左近が床に広げてみせたのは妊婦用の身幅の広い着物、帯、果てはなぜだか真新しいむつきやら天児なんてものまである。
 まさか、とは思っていたが...三成は夢見る家老を前に盛大にため息をついた。

 
「あのな..左近。」

 
「女の子ならば殿に似て美しい娘になりましょうな、男の子ならば左近が天下無双の武士にお育て申し上げます!」

 
 意外に激情家の三成を側でいさめる役割のはずの彼が、自分の事となるとどうして一本も二本も抜け落ちてしまうのだろう。
 恋は盲目、とは良く言ったものだ。
 今の彼には生物学的現実など見えていない。

 
「落ち着け左近。」

 
「殿はお身体をお大事に。今が大切な時期ですからな!」

 
 しまい込んだばかりの布団を引っ張りだそうとする左近を押しとどめてまずは目の前に正座させる。

 
「妊娠は病ではない...じゃなくて、男が子を孕むはずがなかろうが!!」

 
「しかしあれだけ中で出せば万が一ということも...。」

 
 この日二度目の扇子が左近の脳天を直撃した。

 
「いいか左近、よく聞け。昨日、幸村と団子の食べ歩きをしたのだ。
 だから今日は朝から胃がもたれて食欲が無かった。」

 
「そう...ですよね。」

 
「そうだ。全く、お前は俺の頭に生えてるものの心配よりも自分の頭の中身をどうにかしてくれ。」

 
 しゅん、とうなだれてしまった左近をいささか哀れとも思いながら、三成は部屋の隅に追いやられていた朝の膳を引き戻した。 
 幾度も中断させられたせいですっかり冷めてしまっている。
 そもそも左近はしっかりと食事を摂らせる為にここに来ているのではないか、これからはやはり朝は一人で食べよう、などと考えながら箸を手にする。

 
「わかりました、殿。」

 
 何が?と問う前に今度は三成の身体が畳に押し倒されていた。

 
「さ、さこん?」

 
「子作りをいたしましょう!努力次第でなんとでもなるものです!」

 
「なんともならんわ!!」

 
「信じれば奇跡も起きる!!」

 
「起きないからこその奇跡だ!!って朝飯がまだ...ぎゃー!」

 
 その後、左近の“殿の朝ご飯見守り隊”は撤廃され、三成の膳には海藻に加えて子作りに効果抜群スタミナメニューが追加されたとか。

  

   

 

  


全く落ち着きのない石田家の朝
左近のテンションがおかしい。きっと残業のし過ぎで寝ていないんです