ご覧為さい、もうすぐ始まります、と左近が言うので三成はその無骨な指の差す先に目を凝らした。
日が暮れたばかりの野には夜の帳が次第に濃さを増していく。
もうどれほども経たぬうちにあたりはすっかり闇に沈むだろうと思われたその時、ちらほらと見えていた里の明かりが一斉に消えた。
何事か、と問おうとした三成の声は一斉に湧き上がる雄叫びにかき消された。
幾千もの蹄が起こす地鳴りが響き、鉄砲が打ち鳴らされると火縄の匂いが鼻を突く。
これは戦だ。
それも相当な規模の。
唐突なその始まりに三成は思わず傍らにいる左近の袖を握りしめた。
「これはなんだ、左近。
随分大きな戦のようだが、これはどこの家中だ。相手は誰だ。」
その手を包むようにそっと握り返して左近は静かに微笑んだ。
「殿、覚えはありませんか?
これは貴方の戦です。
貴方はあそこにいる。」
言われて見た山の上の陣幕には、確かに馴染みのある紋がはためいていた。
「そんな..。」
呆然と見つめる三成を置き去りにして、眼下の戦は激しさを増していく。
三成の記憶にあるその日のままに。
だとすれば、この後には。
「もうすぐ、俺が死にます。」
深く静かに左近が告げると同時に騎馬武者が一騎、味方の陣を駆け出て相手方に突き込んでいく。
十重二十重に取り囲まれた包囲をくぐり抜け、敵方の大将の元にその刃が届かんとした寸前。
これほどの怒号の飛び交う戦場で、たった一発の銃声が三成の鼓膜を震わせた。
武者は跳ね飛ばされたように馬から転げ落ち、それを槍を手にした足軽が一気に取り囲む。
「左近!」
三成は声の限りに叫んでいた。
しかし伸ばした手が届くはずも無く、武者の姿はあっという間に群がる兵の渦の中に飲み込まれていった。
「左近...左近..!!」
「殿..。」
地に膝をつき肩を震わせる三成に、左近は静かに語りかける。
「殿、落ち着いてください、これは夢です。
年に一度だけ見られる夢。
この土地の記憶。
されど亡者は陽の元には姿を現せませんから、こうして夜を待って戦は始まる。
それだけがあの時とは違うのです。
里の者はそれを知っていて、この夜ばかりは明かりを消し、見て見ぬ振りをするのです。」
もう何年も。
何十年も。
何百年も。
三成は弾かれたように顔を上げた。
「左近、お前は。」
「殿はいつも忘れてしまわれるのですね。」
左近は三成の首筋の傷に触れる。
細い首をぐるりと取り巻くようにつけられたそれはようやく塞がりかけているものの、未だ盛り上がった肉が紅く熟れていた。
もはや痛みは感じないが、固い指先に愛おしむように撫でられているとなにやらおかしな気分にもなってくる。
ほぅ、とため息を漏らす三成に左近は微笑んで顔を寄せた。
「殿、来年もまた一緒にこの夢を見ましょう。
再来年も、その次も、ここでお会いしましょう。
左近は待っております。
約束ですよ。」
口付けると名残惜しげに頷いて三成の姿は煙のように消えた。
跡には露ひとつ残さずに。
いつの間にか戦も定められた結末を迎え、辺りには静けさが戻っている。
左近は明けはじめた西の空を仰いだ。
この景色も随分変わったと思う。
住む人の数は増え、村は街と栄え、木や藁でできていた家は石造りになった。
何があっても必ず戻って来ると、それは左近と三成が最期に口づけと共に交わした約束。
幾年の後も。
この夢の続く限り。
--約束ですよ、殿。
独り誓う言葉は朝日に溶けて、
いまはしばし夢の終わり
戦の幽霊を見る幽霊たちのお話、でした
左近は死んでからも関ヶ原を離れられないので殿が会いに来るのです 本人は1回脳みそがクラッシュしてちょっとメモリがとんじゃっているみたいですが
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