“とても人には言えない箇所を大やけどしたので今日は臨時休業する。”

 
 午前中の早い時間にバイト先のカフェからかかってきた電話は、それだけを実に不機嫌な声で告げると一方的に切れた。
 昨晩早々に店を閉めた店主が近所のスーパーでしこたま買い込んだチョコレートをキッチンに持ち込んでなにやら真剣に取り組んでいた事実を鑑みるに、何が彼の身の上〜主に下半身の一部〜におきたのか、日々身近に接し彼の性癖も知り尽くした少女には容易に想像がついてしまった。
 いつのまにかそんなことに慣れた自分に嫌気を覚えつつ、しかし彼女は定刻通りに自宅を出てカフェへと向かう。

  

  

  

 
 合鍵でドアを開けいつも通りの開店準備。
 看板を外に出し、店内の黒板に本日のオススメブレンドとケーキを書き、店内に散らばった本を元の棚に戻してから木の床にモップをかける。
 それが済んでしまえば他にやるべきこともなく、カウンターに座って近付いた期末テストのために参考書をめくるくらいなもの。
 BGMは無音のまま、ぼんやりと人通りの少ない窓の外を眺めるこのひとときが彼女は気に入っている。
 彼女の大好きな人がいつも店の隅のお気に入りのソファーに沈んでそうするように。
 その人には既に一緒に暮らす恋人が居ることも、彼がぼんやりと外を見ているのは恋人が迎えにくるのを待っているのだということも、彼女は知っている。
 恋人はいつも忙しく働いているので、ここに顔を見せるのは夜遅くの閉店間際。
 それまで彼はお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、通りすがりの顔見知りとボードゲームに興じたりして時間をつぶす。
 二人で暮らす家にたった一人で居るのは冷たくて寂しいし、駅と家のちょうど真ん中にあるこのカフェにいれば少しでも早く恋人に会えるから。
 恋人は早足で店にやってくると、遅いと子供のように頬を膨らませるその人の髪を大きな手で撫で、たったそれだけのことで機嫌を直したその人と連れ立って家路を辿る。

 
 彼女はいつもそれを見ているだけ。

 
 少し前のこと、珍しく早めの時間に迎えに来た恋人とその人が次の日曜日はせっかくの休日だし特別な日でもあるので久しぶりに一緒に美味しいものでも食べに行こうと話し合っているのを、彼女はカウンターの中で大きな苺のケーキを切り分けながら聞いていた。
 だからきっと彼女が待ちわびるその人は今日は店には来ない。
 それは知っていたはずだけれど、それでも彼女は待ってみたい気になってこうして誰にも頼まれていないのに店を開けた。

 
 何故なら今日が2月14日だから。

 
 自分の為に煎れたティーカップの脇の小さな包み。
 その人とその人の恋人がデートの相談をするずっと前から、彼女はそれを用意してこの日にその人に手渡そうと決めていたから。
 だから、あと少し、もう少しだけ待ってみようと彼女は思っている。
 思えばこれまで随分長い間待ち続けてきたし、これからだって彼にたどり着くまでの道のりはとても長そうだから、こんなことくらいで諦めてはいられない。
 自分を取り巻く大人たちの気まぐれには、彼女はもう慣れている。

 

 

 

 

 

 

 陽も暮れかかった頃、参考書の上でうたた寝ていた彼女はドアの開く微かな音を聞いた。
 近付いた気配が転がったままになっている包みに指を伸ばし、それを不思議そうに手に取るのを半分閉じた瞼の隙間から眺めながら、彼女はやはり待っていた甲斐はあったのだと夢の中で微笑んだ。




  

  

 
   

     


お察しの通り、果敢なる勇気を持ってチョコフォンデュを試みた大谷(カフェ)
三成さんに食べさせたかったとかではなくて、単にやってみたかったのではないでしょうか
ラストでお店に来たのは大谷または虎お父様です。残念ながら