あれは忘れもしないイヴの翌朝、つまりはクリスマスのことだ。
 友人たちとのささやかなパーティーでシャンパンを過ごし、二日酔いで地鳴りのように痛む頭を抱えながらいつも通り昼過ぎ定時に出社してみれば、マンションの一室を借りた“出版社”の入り口にドアには“差し押さえ”の張り紙。
 何の冗談かと合鍵をだして入り込んだ部屋はいつも以上に乱雑で入稿待ちのはずの原稿やら売れ残って返品されて来たバックナンバーが散乱して混迷を極めていた。
 よもや、サンタを装った強盗の仕業か。
 いいや、ここには盗って価値のあるものなど一つもないはず等と考えながらあたりを見回して呆然と佇んでいると飛び散った書類の下で電話のベルが鳴っている。

 
「編集長!?」
 

 紙を掻き分けて受話器を握るとその向こうからは案の定、社長兼編集長の涙まじりの声が聞こえて来た。
 

「大谷か...すまん、こんなことになっちまって。」
 

 時折鼻水をすする音を交えながら彼の説明することには、ついに我がか弱く名も無き“出版社”は昨日の夜、酔っぱらって苺の乗ったクリスマスケーキに顔をつっこんでいるまさにその時に終焉の時を迎えていたらしい。
 

--退職金出せないけど、代わりにそこにある本、好きなだけ持って行っていいから。
 

 勝手なことを言うだけ言って電話は切れた。
 思えば経営状態が良いなどということは一度たりとてなかった。
 自分と編集長だけで成り立っていた“出版社”が世に送り出していたのは、作っている自分ですら誰が読むのかと首をひねりたくなるほどの趣味に走りまくったお耽美文芸誌。
 寄稿してくれる作家だってほとんどが編集長か自分の知り合いで、そんな彼等も好き勝手を書き連ねる、ほとんど同人誌的存在。
 エロ・グロ・ナンセンス満載で、さりとて昨今一部の若者に人気のあるBL・JUNE・ゴスロリなんて甘い要素は無くひたすらある意味硬派に各自のお耽美趣味を追求し続ける、そんな雑誌が一般書店に並ぶはずもなく。
 幸い一定の特殊な購買層は ゲットしていたため(世の中には特殊な性癖を持つ人間が一定の割合で存在するものなのだ)、どうにか今まで倒産だけは免れていたものの、いつまでもこれではいかんと欲を張った編集長がグラビアを入れようと言い出した、思えばアレが不味かった。
 おかしいと気付くべきだったのだ。
 芸能プロモーターと名乗る妖しげな男が連れて来たのは東欧系美少女、いいいやあれはむしろ幼女圏内であろう。
 小さな頭、相対的に大きな瞳、折れそうな細い首をかしげてはにかむ様のなんと愛らしいことか。お耽美系美少女の神髄ここにありとばかりに...などと感嘆していたのだ、最初は。
 しかし考えてもみよう。
 そんな幼女が極東の島国で芸能活動等しても良いものだろうか。ビザとかなんとか、いいのかなー、でもまいっか、かわいいしー、なんて熱に浮かされたまま契約金を支払った翌日から美幼女と謎のプロモーターは消えた。
 そこから坂を転げ落ちるのは早かった。

 

 そして、話は冒頭に戻る。

 

 早熟だった中学生時代、自販機で恐る恐る購入したエロ本を回し読みする周りの男子を尻目に「読書」の名の下に狂人として没したフランス貴族作家の日本語訳を読みふけった。
 そのままその訳者に憧れ、一浪して彼の出身校である日本国最高学府フランス文学科に入学。
 周囲が官僚やら一流企業の有望なる新人社員として社会に出て行く中、大学院に残り、修士課程、博士課程と進みそこでひたすら学位も取らず小説まがいの文章ばかりを書き続けた。
 大学が決まった時の両親親類縁者の驚喜といったらなかった。
 それがいつまでたっても学生のまま、就職活動もせず、資格試験を目指すわけでもなく、人様の目には触れさせたくないような卑猥な文章を書き連ねている。
 教授に媚びるわけでもなくたいした研究成果も成さず、満期退学をもって大学を追い出されたのを拾ってくれたのが同じ路を志す先輩でもあった編集長だったのだ。
 

--俺と夜の夢を咲かせよう。
 

 そんな危うい口説き文句と共に一から出版社を立ち上げて、世間というものを何一つ知らない自分たちがよくもまあここまで続けて来れたものだ。
 遅かれ早かれ、こうなるのは目に見えていたではないか。
 決して楽ではなかったけど、自分たちの好きな物を作れて、世に出すことが出来て、ごく少数だったけれどそれを認めてくれる人もいて、幸せだった。そう思おう。思いたい。思うしか無いじゃないか。
 とりあえず当局に押収される前にと、資料と称して秘蔵していた発禁本コレクションの中から持てるだけを持って“出版社”を後にする。
 律儀にドアに鍵をかけていると狭いマンションの廊下に人影が見えた。
 

「ここの、編集部の方?」
 

 声の主は若い女だった。
 ベルベットのコートはプリンセスライン。
 すんなりと伸びた首元を恥じらうように隠すウサギの襟巻き。
 まっすぐに伸びた髪も、全てが黒づくめで統一されていて小作りの顔がだけが白く、昼でも薄暗い廊下にひとひらの雪が舞い落ちたよう。
 

「こちらで出されていた雑誌を愛読していて...倒産されたと聞いてびっくりいたしました。
 私も少しですけれど出資させていただいておりましたから。」

 
 見ればアンゴラの手袋に包まれた手には先月出した最新号が大切そうに抱かれている。
 ちなみにこの世で最期となったその特集は【実践★A感覚とV感覚】。身体を張った突撃取材が見所である(V感覚は偽造した)。
 

--お嬢さん、貴女は一体何者...。
 

 年の頃は高校生...せいぜいが大学生くらいではないか。
 しかし落ち着き払った物言いや仕草、着ている物だってあれはそこらの店で買えるような質の物ではない。それに彼女、さっき“出資”とか言ってなかったっけ。
 そういえば編集長が謎のプロモーターに支払った契約金、あの出所を聞いたとき、実はすごいスポンサーがいるのだと言っていたっけ。
 いつも代理人からの電話だけで直接会ったことはなく、名前から察するに女性らしい、と。

--きっと有閑マダムの道楽だよ。特異な人もいるもんだ。
 特異なのはむしろこちらなのだが。
 

「あ...これからのことは管財人に一任して...もしかして定期購読を申し込まれていましたか?」
 

 払い戻す金なんてあったかなと慌てて財布を探すのを彼女はやんわりと制す。
 

「違うのです。
 ただ、あのようなご本は他に無くて、もう読めなくなってしまうのが寂しいのです。
 私と同じご趣味の方ってなかなかいらっしゃらないものだから。」
 

--それはいません、お嬢さん。
 

「失礼ですけど、これからのご予定は?」
 

 そういわれると何も無い。押し黙ったままの表情から察したのか彼女は控えめに微笑んで言った。
 

「もし...もし、よろしかったらこのような趣味の本がたくさん読める場所を作っていただきたいのです。
 お金ならご用意できます。私、こう見えて少し遺産が入りましたの。
 同じ物を好きなお仲間が集まれる、そうね、例えば--」

“カフェのような。”
  
 大谷吉継、30代半ばのクリスマス、初めてサンタクロースに出逢う。
 それは黒尽くめの美少女の姿をしていて、財力に富み、何より抜群の趣味を持っていた。
  

 

 

 

 1年後のクリスマス、都心から少し離れた街に少し変わった店主の経営する少し趣味に走りすぎた一軒のカフェが開店する。
 そこには店主に負けず劣らず少し不思議な人々が集まって来て、少し騒がしくもそれなりに愛に溢れた人間関係が展開していくのだけれどそれはまた、別のお話。

  

   

 

  

  

   

 

  

カフェ・ド・関ヶ原のはじめて物語
“黒尽くめの美少女”は茶々さんでした
彼女の設定はまた追々