義理に本命、挑戦、勝負、惰性。様々な思惑の詰まったチョコの山を若い同僚に押し付けて、左近は我が家へと帰路を急いだ。
 

 今日はバレンタインデー。
 

 愛しい人にチョコレートを贈る習慣はこの島国独自のもので、製菓会社の仕組んだイベントだとか、そもそもは女性から男性に贈る物だとかいうことはこの際どうでもよく、甘いものには目がない三成のために左近は洋菓子店に立ち寄ることを忘れない。自分の持ち帰った菓子をうれしそうに頬張る恋人の笑顔を脳裏に浮かべ、ひとり口元を緩ませて。
 

「ただ今帰りました。
 どうです?
 殿のために左近がモロゾフの東京チョコチーズケーキを買って参りましたよ。
 お好きでしょう、これ。」

 
 けれど包みを差し出す左近に、返された言葉は意外なもので。 
 

「いらない。」
 

 ソファに寝そべってテレビのリモコンを弄りながら三成はにべもなく言い放った。
 

「そんな....?殿がお菓子を断るなんてめずらしい。」
「昼間、紀之介のところでたらふく喰った。
 というよりあそこおかしいぞ。今日は何を頼んでもチョコ味しか出てこない。
 昼を喰いにいったのに、おにぎりの代わりにチョコパフェが出てくるし、抹茶の代わりにホットチョコレートがついてくる。
 紀之介はバリスタをやめてショコラティエにでもなったのか。
 カフェ・ド・関ヶ原をショコラ・ド・関ヶ原にでもするつもりかな。」
 

 最近、作り置きのお弁当がそのままになっていると思ったらよそ様にごちそうになっていたのか。飼い猫がご近所で違う名を呼ばれ餌を食べているのを目撃してしまった時のような複雑な気分に左近は陥った。
 と、いうのはさておき。
 

「さあ..それは左近の存じかねるところですが。」
「おまけにチョコの土産付きだ。左近も喰うか。美味いぞ。シャンパントリュフだ。」
 

 そう言って三成はテーブルの上に置かれた箱を示す。
 

「これって...」
 

 三成が開ける時にびりびりに破いてしまったけれど、パールホワイトの包み紙にレース付きのベビーピンクのリボン。
 手作りですよね、という言葉を寸でのところで左近は飲み込んだ。
 愛の告白カードこそ添えられていないけれど、どう見ても“いかにもマジ本命”な仕様ではないか。
 カフェ・ド・関ヶ原。
 チョコづくし。
 そして決め手の本命チョコ。
 ここまで来て左近には一連のチョコレート事件の犯人は大方検討がついていた。
 悪いお友達にそそのかされない限りは世間の行事にうとい三成自身がまったく気付いていないのは此れ幸い。人の恋路を邪魔するつもりもないが、だからといって協力してやるほど自分はお人好しではない。たかが女子高生相手に大人げないと言われても、今のこの愛らしい恋人との蜜月を他人様にぶちこわしていただく気など毛頭なかった。
 

「どうした?左近。チョコ、嫌いか?」
 

 そんなことを考えているうちに、仏頂面になっていたらしい左近に三成が不思議そうに小首をかしげて尋ねてくる。
 無邪気なその様に、にぶいにもほどがあると左近は思う。
 そこがまた可愛いところなのだけれど、本命チョコなどというブラックホール級の恋の質量の塊をほいほい受け取ってしまうなんて三成さん、あんたのそういうところ、自分でも気のつかないうちに人を傷つけているんですぜ。とは口にも出せず代わりに左近はふぅ、とため息をついた。
 

「...ちょっとタバコ買ってきます。」
 

 少し、頭を冷まそう。
 このまま部屋にいたら筋違いに三成を問い詰めてしまいそうで左近は脱いだばかりのコートに再び袖を通した。
 

「え..タバコってお前、禁煙してたんじゃ...
 って、さこーん、外に行くならついでに苺かってきてくれー。
 さっぱりしたものたべたーい。」
 

 相変わらずお気楽極楽な恋人の声が後ろから追いかけて来るのを振り切って、左近はすっかり陽の暮れた街へ出て行った。

 

 

 

 

 誰もいない公園のベンチに腰掛けて、真新しい銀紙を破り、取り出した1本に火をつける。
 久しぶりの煙草はニコチンが肺に染みる。
 三成が転がり込んで来てからは家では止めていて、それでも時々は外で吸っていたけれど、いつも時間に急かされてこんなにゆっくりと煙を吐くのは久しぶりだ。
 ふいに見上げてみれば冬の空気に澄んだ星空が広がっていて、この街でもこんなきれいなものが見れるのかと少し得をした気分になった。
 左近がそうしてささくれかけた心を和ませていたその時。
 

「あんた..。」
 

 不穏な声に、目を向けるとそこには白い息を吐く少女がひとり佇んで。
 

 「あぁ、大谷さんとこのバイトの..。」

 きらきらさらさらの金髪を頭の高い位置で二つに結んで、プリンセスラインの深紅のケープ付きコートを着込んで、おそらくはバイト帰りなのだろう。
 カフェで働いているのを何度も見かけて確かに世間で言うところの美少女というやつなのだろうな、と元来女には目の利く左近は思っていたけれど、昔ならいざ知らず目下のところ同居中の恋人一筋の彼には彼女の名前を知ろうとするほどの興味は無かった。
 

「初芽よ。藤堂初芽。16歳。女子高生。覚えておきなさい、島左近。」
 

 ベンチの左近をかろうじて見下ろす視線からそう言い放つ。その迫力に気圧されて、左近は口の中で、はい、と小さく呟いた。
 

「えっと...とりあえず初芽さん。座り、ます?」
 

 そのまま、その場を動こうとしない少女に左近は少しだけ腰をずらして自分の隣に空間を作ってやる。
 意外に素直に頷いて彼女の小さな身体は左近の脇に収まった。
 

「初芽さん。殿にチョコをありがとうございました。」
 

 けれどそれから何の会話も無いまま、吸いそびれた煙草が左近の手の中で空しく灰と消える頃。黙ったきりの彼女に、席を勧めた責任を感じて左近は一応の礼を口にしてみる。
 

「なんであんたに御礼なんて言われなきゃなんないのよ。それにあれは..。」
 

 言いよどんで初芽は俯く。
 左近はその横顔をまじまじと見つめた。
 血管の透けるほど白い肌に長いまつげが影を落とし、その服装趣向もあいまってまるでアンティークドールのよう。やたらと奇麗な外見に我が儘で気まぐれな子供みたいな中身なんて、見ようによってはどこかの誰かさんとそっくりかもしれない。
 確かに可憐なのだ。
 ただし、それには“黙っていれば”“何もしなければ”という絶対条件がつくのだけれど。
 

「殿がとても喜んでいましたよ。美味しいって。」
「..でも、気付いてもらえなかったし...っていうかなんであんたが気付いてんのよ!
 こんなんじゃ..また..!!」
 

 噛み付くような口調で一気にまくしたてると彼女はまた黙ってしまった。
 同じ人を恋い慕う左近には彼女の気持ちが手に取るように分かってしまう。
 恋が熟しきる前の、儚く清らかな、それでいて白く燃える炎のような気持ち。今はこの手の中にいる彼を初めて抱き締めることができるまで、そんな気持ちに自分も身を焼かれていたのだから。
 こんなときの安易な同情なんて相手を傷つけるだけなのだし、増して彼女は恋敵。
 それでもか弱い物がその純粋さ故にさらに弱っているのを見捨てておけないのが左近という男の魅力のひとつでもあり、ちょっとした弱点でもあり。
 

「殿を好きでいるのは辛いですか?」
 

 先程より深く俯いた初芽の顔を覗き込むようにして左近は言う。
 

「え..。」
「俺はとても楽しい。あの人といることが。
 今はいつも一緒にいられるけれど、本当はあの人が笑っているのを見ているだけできっととても幸せな気持ちになれる。
 そういう気持ちを知っている人間は実はとても少ないんです。
 あなたもその少ない人間のうちのひとり、そうでしょう?」 
 

 その口調はあくまで穏やかで、けれど幼子をあやすような媚びはなく、その場しのぎの偽りでもなく。
 だから初芽も顔をあげて、目の前の、30近くも年上の男をまっすぐに見つめた。 
 この目で見られたら嘘はつけないなと左近は思う。
 大きな眼球の上にうっすらと涙の膜がかかって、公園の街灯の光を映している。そんな澄み切った瞳。まるでこの夜空を閉じ込めたような。
 

「...幸せ、よ。
 気付いてもらえなくても、あの人がそこにいて、それを見ているあたしがいて、それだけでいいの。
 それだけで幸せなの。」
 

 そこで一区切り、肩をすくめて細く笑い彼女は続けた。
 

「でも、やっぱり欲がでちゃうのよ。目の前の幸せだけじゃ物足りなくなっちゃうの。
 フルコースでお腹いっぱいでもデザートは選びたいでしょ?
 一度に一足しか履けないってわかってても可愛い靴を見つけたら欲しくなるでしょ?
 つまり、そういうことよ。」
 

 はたして彼女の言う、欲というものが叶う日がいつか来るのだろうか。
 そしたらその時自分は?
 どこまでもどん欲に求め続ける彼女の姿は健気とも呼べるもので、左近は、左近ともあろう者が、やはり少し不安になる。
 けれど、人の心を押しと留めることなど誰にも、もしかしたら本人にだって出来ないのだ。
 話したいことを話して、彼女は幾分気も晴れたしたらしい。
 その顔にはいつもカフェで見かけるような勝ち気な自信にあふれた表情が戻りはじめている。
 

「素敵なお話してくれてありがと。
 貴方、けっこういい人ね。私の三成様が選んだだけはあるわ。
 今日のお礼に貴方のこと、左近おじさまって呼んであげる。」
 

 いつから“私の”になったんだ、というのはあえて突っ込まず、そりゃどうも、と左近も笑ってみせる。
 

「さて、初芽さん。
 俺はおうちで待つ殿の為に苺を探しに行かねばなりません。
 今夜はこれでさよならです。」
 

 結局、1本だけしか吸わなかった煙草を箱ごと丸めてゴミ箱に投げ込むと左近はベンチから立ち上がった。
 

「貴方も苦労してんのね。」
 

 一緒に立ち上がり、コートについた埃をはらいながら彼女もすっかりいつもの顔で笑ってみせた。
 

「その苦労が楽しかったりするんですよ。」
「やっぱりくやしいわ、そういうの。」
 

 形だけの、けれども少しの寂しさが漂うしかめっ面を残し、じゃあね、と言って歩き出す彼女の後ろ姿を見送って、左近もまた街の方へと足を向ける。
 駅前のスーパーの営業時間はとうに終わっている。はたして深夜のコンビニに苺は売っているだろうか、そんなことを考えながら。

 

 

 

 

「とのー、ご所望の苺ですよ。」
 

 帰ってみると、待ちくたびれた恋人はソファの上でうたた寝をしていた。
 それでもうっすらと半眼を開け、お目当ての苺を確認するとおっくうそうに手を伸ばす。
 左近は洗いたての、まだ雫の落ちるそれを一粒手に取ると彼の唇へと運んだ。
 親鳥に餌をもらう小鳥のようにして、三成は赤い果実に歯を立てる。
 したたる果汁を無骨な指ごとなめとって、三成はふと意外な言葉を口にした。
 

「なぁ、紀之介のとこでバイトしてる子、名前なんていうのかな。」
「気になります?」
 

 左近は次の一粒を手に取って自らの唇に挟む。
 

「別に..そんなんじゃないけど。ん...っ。」
 

 今度は指ではなく、口移しに果実を与えて、恋人の口は塞いでしまおう。
 

 これ以上余計なことに気を奪われないように。
 今はまだ二人だけの時間を邪魔されないように。

  

  

 
   

     おま


季節の行事には必ず現れるイベント女、初芽ちゃん
何故か殿より先に左近と仲良くなってしまいました
モロゾフの東京チョコチーズケーキは東京駅と上野の構内でのみ売っているお土産。大好きなのです